毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活の主日・復活徹夜祭



なぜかお墓の桜は美しい。
南相馬市小高区飯崎の墓地にある枝垂れ桜は、特にみごとです。

「願はくは花の下にて春死なむその如月のもちづきのころ」(西行)
という心境で、日本人はお墓に桜を植えてきたのでしょうか?

でも聖土曜日に見たこの桜が、わたしには
死に打ち勝ったキリストのいのちを表しているように見えました。


●復活徹夜祭
 聖書箇所:出エジプト記14・15〜15・1a他/ローマ6・3−11/マタイ28・1-10
                     2017.4.15原町教会
 ホミリア
 福音はマタイ福音書で、イエスが復活した朝の出来事が読まれました。
 復活されたイエスに最初に出会ったのは、女性の弟子たちでした。すべての福音書はイエスの復活の知らせを最初に受け取ったのが、墓に行った女性たちだったと伝えていますが、マタイ福音書とヨハネ福音書ははっきりと女性の弟子が最初にイエスご自身に出会ったと伝えています。
 男の弟子たちは最後までイエスについていくと言いながら、イエスが逮捕されると皆、逃げてしまいました。女性の弟子たちは違います。彼女たちはイエスの十字架に最後まで従い、イエスの死を見届け、三日目の朝、イエスの遺体の世話をするために墓に行きました。ローマ帝国に対する反逆者として十字架刑になったイエスの墓に行くということは、もしかしたら自分たちもとんでもない目にあうかもしれません。彼女たちは身の危険を犯してまでもイエスの墓に行こうとしました。

 イエスの時代、女性は弱い立場に置かれていました。当時の価値観では、律法をきちんと守った生活をすることが人間として最も価値あることでした。その律法は男性だけに学ぶ義務があり、男性だけに守る義務もありました。女性はその男性に従属する立場で、律法を守る主体とは考えられず、一人前の人間と認められていなかったのです。その中でイエスは女性も男性も神の前でまったく等しい尊厳をもった存在であることを教えました。それだけではありません。ある女性たちは病気によって、あるいは不幸な境遇によって、「汚れた女性」という烙印を押され、蔑まれていました。イエスの弟子となった女性たちはそのような境遇の中でイエスに出会い、イエスによって人間としての誇りや生きる意味を取り戻させてもらった人だったのではないでしょうか。そして、だからこそ彼女たちは、最後までイエスに付いていったのでしょう。

 そしてその女性の弟子たちにとって、イエスの死がどれほど辛く悲しいものであったかも想像できます。彼女たちは完全に打ちのめされていたはずです。そして彼女たちはせめてイエスの遺体に近づこうとしたのです。そこで安息日が終わり、夜が明けるとすぐにイエスの墓に行くのです。そこで彼女たちはイエスが復活したという知らせを受け取りました。

 今日のマタイの箇所では、実際にイエスに出会ったと伝えられています。ごくごく短い記述ですが。
 ここでイエスは「おはよう」と言います。原文のギリシア語では「カイレテchairete」と言い、まあ普通のあいさつに使う言葉ですから、「おはよう」でもいいのかもしれませんが、元の意味は「喜べ」という言葉です。復活のイエスがそこにいて、「喜べ」とおっしゃってくださったとき、彼女たちは本当に喜びに満たされていったことでしょう。
 この女性たちは何を喜んだのでしょうか。もちろんそれは「イエスが生きておられる」ということです!あのイエスが生きている。自分たちを限りないいつくしみを持ってあわれみ、救ってくださったあのイエスは生きている。

 彼女たちの大きな喜びをわたしたちも感じることができるでしょうか。わたしたちにとって、イエスが生きているという喜びはどういうことでしょうか。それは「愛は死に打ち勝った」という喜びだと言ってもいいのではないでしょうか。イエスの愛は暴力に、憎しみや妬みに、罪と死の支配に、闇の力に打ち勝った!
 それが2000年前にイエスの墓を訪ねた女性の弟子たちの喜びであり、わたしたちの喜びでもあります。わたしたちは今日、イエスに出会った女性たちと一緒に、主イエスの復活を心から喜び祝いましょう。




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