毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活節第5主日のミサ



 今日は母の日。ミサの中ですべての母親のために神からの祝福と助けを祈りました。また、カトリック原町教会は「ファティマの聖母」の名をいただいていて、昨日がその祝日でしたので、そのことも思い起こして祈りました。
 今から100年前、ポルトガルのファティマで聖母マリアが3人の子どもに現れ、人々は次第にその出現を信じるようになり、ファティマは大巡礼地になりました。3人の子どもたちの名前は、フランシスコ・マルト、ジャシンタ・マルト、ルシア・ドス・サントス。このうち、フランシスコとジャシンタの兄妹は当時流行したスペイン風邪のため、早く亡くなりました。ルシアは修道女になって、97歳まで生きました。昨日はその出現100周年にあたり、フランシスコとジャシンタ兄妹の列聖式がファティマで、フランシスコ教皇によって行われました。

●復活節第5主日
 聖書箇所:使徒言行録6・1-7/一ペトロ2・4-9/ヨハネ14・1-12

 ホミリア
 この教会に来て、ほんとうにありがたいのは毎週日曜日にAちゃんが侍者をしてくれていることです。最初のころ、今日も来てくれるかなと思って庭を見ていたら、Aちゃんとお母さんが幼稚園のほうから走ってきました。わたしはそこに出入り口があると知らなかったのでびっくりしました。いつもその道を通っているのですね。それを知ってからわたしもときどき、特に朝早く散歩する時や夜遅く駅から帰ってくる時にはこの道を使うようになりました。幼稚園の裏門と庭ですけど、わたしたちにとっては大切な道です。
 なんでこんな話をしているかというと、道というのは、人が歩いてできるということを感じてほしいからです。今のわたしたちにとって、道というのは道路公団や県や市が作るものというのがあたりまえですが、大昔はそうではなかった。人が歩き、大勢の人が歩いているうちに道ができる。このイメージは大切です。

 イエスは今日の福音で「わたしは道であり、真理であり、いのちである」と言われます。どこそこに道があるからその道を行きなさい、というのではありません。わたしが道であり、この道を歩いていきなさい。イエスという道、それはイエスが歩いてできた道だと言ってもいいかもしれません。イエスが徹底的に神に信頼して歩んだ道、とことん人を愛して生きた道。この道をあなたがたも歩いていきなさい。
 ヘブライ人への手紙にこういう箇所があります。「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。」(ヘブライ10・19-20)エルサレムの神殿のたとえを使ってこういうのですが、イエスは受難と死をとおして、わたしたちのために、神に近づき、神に至る道を切り開いてくださった、ということです。このイエスによって開かれた「新しい生きた道」をわたしたちも歩むのです。

 この道はエスカレーターみたいな「動く歩道」じゃないので、自分で歩かなければなりません。イエスが歩んだように、わたしたちも信頼と愛をもって歩いていくのです。
 ヘブライ人への手紙にこういう箇所もあります。「足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。」(ヘブライ12・13)。フランシスコ会訳はこうなっています。「あなた方の足のために、まっすぐな道を造りなさい。これは、足の不自由な人が道をそれることがなく、かえって丈夫になるためです。」ここで「道」と訳されている言葉は元々「轍(わだち)」という意味の言葉です。馬車の車輪が通ると轍ができる。それと同じように人が歩くと道ができる。わたしたちがみんなでまっすぐに歩いていくと、まっすぐな道ができていく。そうすると、後からきた足の弱い人も道を踏み外すことがない。このイメージ、これは教会のイメージですね。
 
 きょうの福音でイエスは、不思議なことも言っています。
 「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」
 わたしたちキリスト信者が行うことが、イエスの行うことよりももっと大きいなんて、とても考えにくいことです。でもイエスが「父のもとに行く」とそこから聖霊が送られてくると約束されています。わたしたちが何かするのではなく、わたしたちをとおして聖霊が働く、そのことに信頼したいと思います。わたしたち一人一人が聖霊の導きに従ってしっかり歩んでいくとき、イエスの切り開かれた道は、大きな、確かな、まっすぐな道になっていく。その聖霊の導きに信頼して歩んでいきましょう。

 五月は聖母マリアの月と言われ、昨日はファティマの聖マリアの祝日でもありました。今はイエスの復活を祝う季節ですが、この復活節に特別に思い起こす聖マリアの姿があります。それは使徒言行録に伝えられているマリアの姿です。イエスの復活と昇天の後、約束された聖霊を待ち望みながら、祈っていた弟子たちの真ん中にイエスの母マリアの姿がありました。わたしたちもマリアとともに聖霊を待ち望んで祈り、マリアとともにイエスの道を歩んでいきたいと思います。



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