毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第19主日のミサ



福島県鮫川村の古民家を改装した祈りの家「知足庵」で合宿しました。
原発事故について考え、生活のあり方を見直し、脱原発を祈る場ですが、
わたしにとって最大の魅力は薄暗い室内と囲炉裏の火です。

日曜日には合宿参加者とともに原町教会に移動してミサをささげました。
当日の説教は以下のメモとは少し違いますが・・・よろしければどうぞお読みください。

●年間第19主日
 聖書箇所:列王記上19・9a, 11-13a/ローマ9・1-5/マタイ14・22-33
         2017.8.13カトリック原町教会
 ホミリア
 福音はイエスが水の上を歩いたという話。こういう話をどのように受け取ったらいいのでしょうか。不思議な話で「やっぱりイエスはすごい」でしょうか?でも単なる昔の不思議な話ではないように思います。どのようにして伝わったのか。初代教会の中で同じようなことが、何度も経験されたのではないでしょうか。

 教会が活動を進めて行く中、逆風でこぎ悩むという経験が何度もあったでしょう。それは迫害ということだったかもしれない。もと別の、もしかしたら教会内部の問題だったかもしれない。そしてそんなとき、「どこにもイエスがいない、助けてくれない」と感じる。でもイエスは目に見えないかたちで、水の上を歩くように近づいてきて、「安心しなさい、わたしだ。恐れることはない」そう語りかけ、近づいて助けてくださった。そんな体験がきっと何度もあったことでしょう。
 さらにキリストの弟子たちがイエスに従って歩もうと思ってはいても、やはり怖くて沈みそうになる。そういう体験もたびたびあったと思います。イエスはそのわたしたちを助けてくださる。福音の言葉にあるように「すぐに手を伸ばして捕まえ」というようなイエスの助けを感じたこと、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」というような励ましの言葉を受け取ったこともあったでしょう。さまざまな困難の中で、復活したイエスがわたしたちを助けてくださる。今日の福音の物語は、キリストの弟子たちと復活したイエスとの出会いの物語でもあるのではないでしょうか。

 平和旬間なので、やはり平和のことを考えます。
 平和の問題は、今年特別に、すごくむずかしい問題だと感じられているかもしれません。国連では核兵器禁止条約が採択され、広島、長崎の原爆の日にあたって、被爆者や市民、市長の核廃絶への強い願いを聞きました。でも一方では、まるで明日にでもアメリカと北朝鮮の間で核戦争が始まるかのようなニュースも聞かされている。
 そんな中で、日本はやはりアメリカの核の傘で守ってもらうしかないのだ、とか、そうでなければ、自分の国だけで自分の国を守る国防力をつける覚悟があるのか、まさか軍備なしに平和が守れるなんてありえないのだから。そんなふうに厳しい選択を突きつけられているような感じがあります。でも厳しい状況だからこそこそ、わたしたちは冷静になって、本当に神のみ旨にかなう道がどこにあるのか、イエスに従う道がどこにあるのかを見つけていきたい。

 第一朗読も印象的でした。「風の中に主はおられなかった」「地震の中にも主はおられなかった」「火の中にも主はおられなかった」その後に、静かにささやく声があった。その声の中で主はわたしたちに語られる、というのです。その静かにささやく声で語りかける主の言葉に耳を傾けましょう。
 「武力によらない平和」というのは、「水の上を歩く」ほどたいへんなことなのかもしれません。それでもわたしたちはイエスに従う道を歩みたい。何も明日からすべての武力をなくすというのでなくてもいいかもしれません。ただ、今、外国の脅威があるからと軍備拡張に向かうのか、それとも長い目で見て、武力によらない平和を追求し、少しずつでも軍備縮小に向かうのか。その見極めは本当に重要だと思います。軍拡に向かっていく方向には歯止めがないし、それは決して平和をもたらす道ではない。このことはイエスの福音と20世紀の歴史が教えていることではないでしょうか。
 今日、わたしたちが本当の平和への道を歩むことができるように祈りましょう。

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