毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖母の被昇天 祭日のミサ



8月15日はカトリック教会では聖マリアの被昇天の祭日でした。
この日もいろいろなところから来られた方々をお迎えしてのミサ。
祭服(ストラ)の絵柄が好評でした。

●聖母の被昇天
 黙示録11・19a, 12・1-6, 10ab/一コリント15・20-27a/ルカ1・39-56
        2017.8.15カトリック原町教会にて
 ホミリア
 「聖母の被昇天」というのは、イエスの母マリアが生涯の終わりに、体も魂も一緒に天の栄光に上げられた、というカトリック教会の教えです。教皇によってはっきり教義として宣言されたのは1950年のことです。マリアの生涯の終わりについては聖書に書いてありません。そのことについて1950年になってから教義として宣言した。プロテスタントの方から見ると、とても理解できないことかもしれません。
 ただしこれは20世紀に発明された教えではありません。カトリック教会の典礼では8世紀ごろから祝われてきました。それ以前に東方教会では「聖マリアの永眠dormitio」という祝日が8月15日に祝われていました。それが西方にも受け継がれ、マリアの祝福された「終わり=眠り」というところから発展して、次第に聖マリアが完全にキリストの復活のいのちにあずかったということを祝うようになり、西方では、「被昇天assumptio」という言葉で呼ばれるようになりました。

 カトリック教会では、1962年に第二バチカン公会議が開かれました。第二バチカン公会議は『教会憲章』(1964年)という文書の中で、マリアについて語ることになりました。最後の8章ですが、その結びとなる第5節のタイトルは「旅する民にとって確かな希望と慰めのしるしであるマリア」というものです。第二バチカン公会議の教会についての捉え方がここによく表れています。教会は「旅する神の民」。教会は真理を独占的に持っている存在とか、神の救いに満たされた状態というのではない。罪も弱さも、汚れもありながら、なんとかキリストに従い、最終的な神の救いを希望しながら、信仰と愛をもって旅をしている民。その民にとって、マリアは「確かな希望と慰め」だというのです。そこで特に思い起こされるマリアの姿が被昇天のマリアの姿です。
 このマリアの姿は、決してマリアだけが受けた栄光の姿ではありません。キリストを信じるわたしたちが皆、最終的に受けることになる救いの姿、キリストの復活のいのちにあずかるというそのことを、被昇天のマリアは前もって示している。これが大切なことです。

 第二朗読でパウロは、キリストの復活にすべての人があずかるという希望を語ります。「アダムによってすべての人が死ぬことになってように、キリストによってすべての人が生かされることになる。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち」。教会はこのキリストに属している人たちの第一人者としてマリアの被昇天を祝うのです。

 第一朗読は、一人の女性の姿を表わします。「身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた」。12は旧約の神の民の部族の数であり、イエスの使徒たちの数でもあります。12という数が象徴しているのは教会なのです。この女性は教会を表すシンボルと考えられます。同時にこの女性については「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた」とありますから、この女性をイエス・キリストの母であるマリアを考えることもできます。そしてこの女性は迫害の中で荒れ野に逃げ込み、そこで神の助けをいただいています。ここでのマリアの姿には、苦しみや試練の中にある教会とのつながりを見ることができます。

 さらに福音のイメージも大切にしたい。
 福音は聖マリアのエリサベト訪問とMagnificatと言われるマリアの歌。このマリアの歌の前半は救い主の母となる使命を与えられたマリアの個人的な神への賛美ですが、後半はすべての人を救う神への賛美になっていきます。前半と後半をつなぐキーワードは「身分の低さ」です。神は「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった」。だから神はすべての「身分の低い者を高く上げ」てくださる。マリアはそう歌うのです。自分一人の栄光を見ているのではなく、すべての人、弱く貧しいすべての人との連帯の中で神の救いを受け取るマリアの姿があります。

 そういうわけで今日、わたしたちは被昇天のマリアの姿を仰ぎ見ながら、信頼と希望をもって祈りたいのです。
 戦争で亡くなられたすべての人が神のいのちのうちに安らかに憩うことができますように。また今も戦争におびえ、戦争によって傷つけられている子どもたちが、そこから解放されますように。人類が悲惨な戦争を繰り返すことなく、すべての分裂や争いを乗り越え、愛と相互理解に到達することができますように。たとえそれが、どんなに遠い道に見えたとしても!
 また、亡くなったわたしたちの先祖や家族が、神の永遠のいのちに入ることができますように。先祖代々キリスト信者の方もいらっしゃると思いますが、わたしたちの多くは、キリストを知らずに世を去った先祖や家族を持っています。その人々、誠実な生涯・家族や周りの人々に対する愛・病気の苦しみなどによってキリストの十字架に結ばれた人々が、キリストの復活のいのちにも結ばれると信じて祈りたいと思います。
 そしてわたしたち教会の歩みのためにも祈りましょう。日本において、わたしたちキリスト者は弱く小さな存在ですが、おとめ聖マリアに結ばれ、被昇天の聖マリアの姿に励まされながら、信仰と愛をもって歩み続けることができますように。


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