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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第33主日のミサ



カリタス南相馬でも畑をやっていますが、ご近所の方からいただく野菜の量は半端じゃありません。
上は大根、下は里芋。
とってもおいしい季節がやってきました。
さて、何を作ろうか?

●年間第33主日(貧しい人のための世界祈願日)
 聖書箇所:箴言31・10-13, 19-20, 30-31/一テサロニケ5・1-6/マタイ25・13-30
  2017/11/19カトリック原町教会にて
 ホミリア
 年間第32主日、33主日、そして来週の王であるキリストの祭日。この3つの日曜日を終末主日と言います。世の終わり、あるいは個人の終わりである死ということに心を向け、そこから今のわたしたちの生き方を見つめ直すときです。
 聖書の終末についてのメッセージは分かりやすいとは言えないでしょう。「何年何月何日に世の終わりがくる」という予言のようなものがあって、人々に恐怖心を植え付け、そこから人をコントロールするような怪しげな宗教団体もあります。聖書の終末についてのメッセージは決してそういうものではありません。
 そこには二つの面があります。一つは希望のメッセージであるという面。もう一つは警告のメッセージであるという面。

 希望のメッセージであるという面、これは迫害のような状況の中で特に語られていることです。どんなに神に信頼しても今の世では迫害を受けることになる、とか、どんなに正しく生きてもこの世では苦しみばかりがある、そういう体験の中で、神はいつか必ず、救いをもたらしてくれる。世の終わりを超えて、肉体の死を超えて、神の救いは実現する。これが終末についてのメッセージの一つのとても大切な面です。きょうの第二朗読は世の終わりが突然来ると言いながら、「あなたがたは光の子」だから暗闇に覆われることはないのだ、と言います。これも希望のメッセージだと言えるでしょうか。

 福音の箇所は、有名なタラントンのたとえ話です。マタイ24章42節にあった「目を覚ましていなさい」という言葉からずっと続いていて、同じテーマが展開されている。だから警告の意味合いであることは確かです。神から預けられたものを眠らせておいてはいけない。それを本当にどう生かすか、そこが神から見て、一番大切なことだ。これは迫害や苦しみの中で語られるのではなく、むしろ、一見平和で、のんびりとしているとき。なんとなくこんな生き方でいいだろう、と安心しきっているときに、「神から見て、本当に価値ある生き方は何か」ということを鋭く問いかけるメッセージなのです。
 だから今日のメッセージはわたしたちにとって、あまりありがたくないメッセージに聞こえても当然なのかもしれません。

 最初の僕(しもべ)は、5タラントンあずかって、5タラントンもうけ、主人から褒められます。この人にとって、自分の働きを主人が評価してくれたのはよかったけれど、でもその評価はある意味で当然のことだと感じたかもしれません。自分はこれだけのことを成し遂げたと思っていたのでしょうから。
 3番目の僕は、1タラントンあずかって、それを土の中に埋めておき、主人から叱られてしまいます。彼にとって、前の人たちが、5タラントン、2タラントン預けられたのに、自分にはこれだけか、という失望や嫉妬心がそもそもあったのでしょう。こんな自分からも何かを要求するなんて、主人は、神様は恐ろしくて無茶な方だ、そう思って縮こまってしまい、何もしようとしないのです。この僕に共感するという人もきっといますね。
 
 でも、このタラントンのたとえ話には、2人の僕ではなく3人の僕が登場します。
 2番目の僕はどうでしょうか。前の人が5タラントン預けられ、自分にはたった2タラントンしか、って思ったとしても不思議ではないはずです。でも彼は不満のかたまりになって、投げやりになり、何もしなくなるのではなく、彼は彼なりに、自分に与えられものの大きさを感じて、精一杯、主人の望みに答えようとしました。そして、2タラントンもうけて、それを主人に差し出します。彼が差し出したのは4タラントンですね。主人は10タラントン持っている人に対するのとまったく同じように、この僕を評価します。
 「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」
 この言葉は、5タラントン預けられ、5タラントン儲けた人に向かって言われた言葉とまったく同じなのです。最初に何タラントン預けられたか、最後に何タラントン主人に返したか、そこはまったく問われないのです。与えられたもの、預けられたものをどう生かしたか、そこだけをこの主人は見てくださる。2番目の僕にとって、この神のまなざしは本当にありがたいものだったのではないでしょうか。

 わたしたちは皆、2タラントン預けられた人間だと思います。
 上を見ればキリがないし、下を見てもキリがない? でも神様から見たらそんなことはどうでもいい。人と人とを比較して、誰よりも恵まれているとか恵まれていないとか、どれだけの結果を出せたかとか、そんなことは神様から見たら、まったくどうでもいい。与えられたいのち、かけがえのない宝物であるいのちをどう生きたか、神様はそこだけを見ていてくださる。そして、「主人と一緒に喜んでくれ(直訳:主人の喜びに入りなさい)」と言ってくださる。この福音の世界を今日、ご一緒に味わいたい。そしてそこから感謝と喜びを希望に満ちた人生を始めたいと思います!



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