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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

神の愛の宣教者会(足立)でのクリスマス・ミサ



一足早いですが、今日は足立区にあるマザーテレサの会のシスターたちのところで、クリスマスのミサをささげました。
「神の愛の宣教者会Missionaries of Charity」と言えば、やっぱり「I THIRST(我渇く)」。

いろいろな人が集まって、にぎやかなミサ、そしてすてきなアトラクションの数々でした。

●クリスマスのミサ
 聖書箇所:イザ9・1-3, 5-6/ルカ2・1-14
      神の愛の宣教者会(足立・女子)にて
 ホミリア
 わたしは今、東京教区の仕事は休ませていただいて、仙台教区の原町教会というところで小教区の手伝いをさせていただいています。福島県南相馬市にあります。福島第一原発から一番近いカトリック教会です。地震、津波、原発事故の影響を大きく受けた地域で、今もなお、さまざまに困難な状況が続いています。一年前に教会の敷地内に「カリタス南相馬」ができて、全国から来るボランティアの皆さんと一緒に、被災者支援の活動を続けています。
 この地域(福島県浜通り北部・相双地区)には「相馬野馬追」という伝統行事があって、毎年7月の終わりに行われます。震災後、毎年少しずつ昔のように盛大に行われるようになってきました。わたしは今年はじめて、見ることができました。20キロ圏内の小高神社は、昨年、避難指示が解除され、今年からようやく全面的にこの祭りに参加することになりました。しかし、住民はまだまだ少ないので、カリタス南相馬のボランティアも小高神社を出発する一団の手伝いをさせていただきました。
 この祭りの特徴は何と言っても馬の多さです。500騎余りの馬が集まって、甲冑競馬、神旗争奪戦、野馬懸けなどの行事が行われます。祭りのときだけ借りてくる馬もいますが、半数ぐらいの馬はその地域で飼われています。年に一度の野馬追祭りのためだけに馬を飼っているのです。早朝など、普通の道を馬が歩いていたりもします。

 そんなところから来ていて、クリスマスを迎え、すごく気になっているのは「馬小屋」という言葉です。イエス様が生まれたのは「馬小屋」だったとか、イエス様の誕生の場面を表す飾りを「馬小屋飾り」と言ったりしますが、これはどう考えてもおかしいです。
 聖書に書いてあるのは、ヨセフとマリアはベツレヘムに旅をしていて、その旅先でマリアはイエスを産み、宿屋には彼らのために場所がなかったので、幼子は飼い葉桶に寝かされた、ということだけです。どこにも馬がいたなんて書いてありません。なぜ馬小屋になってのでしょう?
 日本語には「うまや」という言葉があって、これは元々は馬を飼っていた場所の意味でしたが、牛を飼っていても「うまや」と言われていました。主に農耕に使うための馬や牛を飼うのがうまやでした。この「うまや」という言葉が使われなくなったので、「馬小屋」という言葉になりました。でも「うまや=馬小屋」ではありません。イエスが生まれた場所で飼われていたのは、馬ではなく、牛かロバでした。

 馬は、相馬野馬追でもそうですが、武士の戦いの乗り物なのです。昔のイスラエルでもそうです。野馬追では今は平和なお祭りのために飼っていますが、昔のイスラエルではそんなことはありません。ですからあれはあくまで「牛・ロバ小屋」なんです。 普通の庶民が農耕のために使ったり、荷運びのために使う牛やロバがいるようなところでイエスは生まれました。
 ヨセフとマリアがもっとお金があれば、別なところに泊まることができたでしょう。でも彼らは貧しくて、そういう場所しか見つけられなかったのです。
 お祝いに最初に駆けつけたのは、「羊飼い」でした。羊飼いというと何となく牧歌的でのんびりしたイメージを持つかもしれませんが、イエスの時代の羊飼いは皆、雇われ人で、羊の群れを追って、草を求めて転々と旅をしていく人たちでした。そして夜は羊と一緒に野宿をする。貧しく、町の人から見れば、教育もなく、軽蔑されていた人々でした。
 イエスの誕生の場面を思い起こす時、この「貧しさ」ということはとても大切です。イエスはこの貧しさの中に生まれたのです。

 先日、ある団体が行ったアンケートの結果がニュースで紹介されていました。それはシングルマザーを対象にしたアンケートでしたが、彼女たちの3分の1が「クリスマスなんかないほうがいいと思っている」という回答をしたというのです。
 他の家の子どもたちはいろいろプレゼントをもらえるかもしれないけれど、うちでは子どもにプレゼントを買ってやるのも難しい。他の家ではにぎやかにお祝いしているかもしれないけれど、わが家はクリスマスの晩も子どもと二人きり。いやその夜も子どもを残して働きに出なければならないかもしれない。そんなさびしい思いをするクリスマスなんかなければいいのに。そういう思いの人はたくさんいるのでしょう。それはシングルマザーに限ったことではありません。
 どう思いますか。本当はそういう人にこそ、クリスマスの喜びが届くべきですよね。その人々のためにこそ、幼子イエスはお生まれになったからです。
 飼い葉桶の中の幼子イエスは、スヤスヤと眠っているか、オギャーオギャーと泣いているだけです。でも心の耳を済ませば、幼子イエスの語りかける声が聞こえます。

 貧しくて、お祝いする余裕なんかないあなた。
 体が弱っていて、思うように動くことのできないあなた。
 今夜泊まるところがない、体をあたためる衣服がないあなた。
 一人ぼっちで、誰からも忘れられたように感じているあなた。
 でも僕はそんなあなたの友達になるために、兄弟になるために、生まれて来た。
 あなたの貧しさ、寒さ、飢え渇き、弱さ、孤独、苦しみを一緒に荷なうために、この世に来た。僕はここにいるよ。僕はいつでもあなたのそばにいるよ・・・
 幼子イエスの、そう語りかける声を聞き取りたいと思います。
 
 幼子イエスがあのように小さく、無力な、貧しい姿で世に来てくださった、その喜びを心から分かち合いましょう。メリー・クリスマス!


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