FC2ブログ

毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第3主日のミサ



事故から7年がたとうとしている福島第一原子力発電所。
廃炉作業に40年はかかると言われていますが、本当は廃炉までの目処が立っていないのが実情です。
神でないものの支配のシンボルのように思えてなりません。
(写真は双葉町の帰還困難区域を通る国道6号線から、遠くに見える福島第一原発)

●年間第3主日
 聖書箇所:ヨナ3・1-5, 10/一コリント7・29-31/マルコ1・14-20
            カトリック原町教会にて
 ホミリア
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
 マルコ福音書が伝えるイエスの福音告知の最初の言葉です。これは第一声というだけでなく、イエスが告げたメッセージ全体の要約だと言ってもいいでしょう。マルコ福音書は他の福音書に比べるとイエスの言葉を少ししか伝えていませんが、「イエスが教えた、告げ知らせた」という時、いつもこのメッセージを語っていたと考えてよいと思います。その意味で大切にしたい言葉です。でも、現代人には少し分かりにくいかもしれません。
 「神の国」の「国」という言葉は、元のギリシア語では「basileia」と言います。この言葉は「basileus=王」という言葉から来ていて、「王であること、王としての支配、王が支配する国」というような意味になります。英語の「king=王」と「kingdom=王国」というのとちょっと似ています。
 正確に訳すならば、「神の国」というより「神の王国」ということになりますが、これもピンと来ませんね。今のわたしたちは「神が王である国」と言ってもあまりありがたいと思わないからです。むしろへんな宗教国家を連想して、いやなイメージになってしまうかもしれません。でも、2000年前のイエスの生きていた社会、ユダヤやガリラヤの人々にとって、「神の王国が近づいている、もうすぐ神が王になってくださる」というのは、本当にありがたい救いのメッセージだったのです。

 紀元前1000年ごろ(サウル、ダビデの時代)からイスラエルは王国になりました。多くの王は人々の上に権力をふるい、人々を苦しめました。その後は長く外国の支配が続きました。バビロニア、ペルシア、エジプトのプトレマイオス王朝やシリアのセレウコス王朝。そしてイエスの生まれたころにはパレスチナはローマ帝国の植民地になっていました。外国の王や皇帝の支配によって、人々は苦しんできました。
 だから「神が王となる」というのは人間の支配者からの解放のメッセージだったのです。イエスは、神がこの人々の苦しみを遠くから見ていて、知らん顔をしているのではなく、今まさに近づいてきて、王となってくださる、というメッセージを語ったのです。ただそれはイエスが軍隊を組織して、「政治的、軍事的」に外国の王の支配を打ち破る、というようなことではありませんでした。
 聖書の中の王の理想は、弱い者を大切にし、助け、かばうことによって、群れ全体を一つにし、養い生かす羊飼いのイメージでした。そのいつくしみ深い羊飼いのように、どんな人をも決して見捨てず、わたしたち一人一人を大切にしてくださる神に信頼して生きよう、そしてその神のこころを受け取って、人間同士お互いを大切にして生きよう、そういう呼びかけでした。

 「悔い改めて、福音を信じなさい」
 「悔い改めmatanoia」は旧約聖書の言葉で言えば「主に立ち返ること」、心の方向を神に向け直すことです。いつくしみ深い神に心を向け、その神が王となってくださる、というメッセージに自分自分をゆだねていきなさい、自分をかけていきなさい(それが信じるということです)、イエスはそう呼びかけたのです。
 「神が王となってくださる」それは「良い知らせgood news」と言われます。でもこのニュースは、テレビや新聞に出て来るようなニュースではありません。神の呼びかけであって、人間の答えを待っているメッセージなのです。「神は王となってくださる」あなたはそれを受け入れますか?あなたはそれにどう応えますか?そこが問われます。
 たとえて言えば、「わたしと結婚しよう」というようなメッセージです。その人は本気で相手に向かって言うわけですね。でも本当に結婚が成立するかどうかは相手がそれにどう答えるかにかかっています。相手が「はい、結婚しましょう」と答えなければ、結婚は成り立ちません。
 「神が王となってくださる。」「はい、喜んでわたしの王として受け入れます。」そこに神の国が始まるのです。

 今日の福音ではガリラヤ湖のほとりにいた4人の漁師がイエスの最初の弟子になります。彼らはもちろん、「神の国は近づいた」というメッセージを聞いたのです。そして、この呼びかけに応えた最初の人たちでした。イエスが神の国の到来を告げ、人がそれを受け止めて、それに応える中で、神の国は始まっていきます。イエスの福音告知とそれに人々がどう応えていったかをマルコ福音書はここから始めて、ずっと伝えてくれています。
 わたしたちはどうでしょうか。今のわたしたちも実は、神以外のいろいろなものに縛られているのではないでしょうか。そのわたしたちにとって、神が王となってくださる、というのは、やはり解放のメッセージなのではないでしょうか。
 イエスは今日、わたしたちに呼びかけています。「神の国は近づいた。神が王となってくださる」その呼びかけを受け取って、「はい、神様、あなたがわたしの王となってください」本気でそう答えることができますように。


PageTop