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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

東日本大震災7年のミサ@仙台カテドラル



写真は「いのちの行進」で行った小高区の海岸での祈り。同慶寺の田中徳雲住職、日本山妙法寺の皆さんと一緒です。その場に行って祈ることの大切さを感じさせていただきました。

●東日本大震災 犠牲者追悼・復興祈願ミサ(平賀徹夫司教司式)
    2018.3.11仙台カテドラル元寺小路教会にて
 ホミリア
 わたしは2011年7月に震災後はじめて福島に入り、それから細々と福島との関わりを続けて来ました。そして2016年12月から南相馬市にある原町教会で奉仕させていただいています。震災から丸7年にあたるこのミサの中で、福島のことを話してほしいということでしたので、説教をお引き受けしました。
 このミサは東日本大震災で大切な人を亡くされた方やご自分が被災された方もおおぜいいいらっしゃると思いますので、わたしが話すのは場違いかもしれません。でも今、福島で感じていることを分かち合わせていただきたいと思います。

 昨日は南相馬市小高区にある曹洞宗同慶寺から仏教の方々と一緒に海岸まで歩きながら、追悼の祈りをささげてきました。久しぶりに海岸のほうに行って見たのは、おおがかりな海岸堤防工事や減容化施設でした。さまざまな復興工事が行われ、原発事故による避難指示も徐々に解除され、一見、復興は進んでいるように見えます。でも5年6年と人の住んでいなかった地域に戻ることは簡単ではありません。帰れない人もおおぜいいます。その中で、「心の復興・人間の復興」が大きな課題だと感じています。
 「心の復興」ということを考えたとき、昔読んだ、一冊の本のことを思い出しました。それはジュディス・ルイス・ハーマンというアメリカの女性精神科医が書いた『心的外傷と回復』という本です。日本では阪神淡路大震災の後、翻訳されて出版されました。PTSD(post-traumatic stress disorder心的外傷後ストレス障害)についての本です。非常に強いストレスを受ける体験をするとそれが心の傷のようになって、後々までさまざまな心理的問題を引き起こすことになる、それがPTSDです。戦場での兵士の体験、性犯罪の被害女性の体験、さらに自然災害や事故の被害者の体験の中で、PTSDということが語られるようになりました。ハーマンは、PTSDになるような体験の中心にあることは、disempowermentとdisconnectionだと言っています。disempowermentは「無力化」と訳されていますが、徹底的に自分が無力だった、何もできなかった、ということを体験させられることです。戦場や犯罪の被害というのもそうですが、地震や津波といった自然災害でもそうです。何の抵抗もできず、ただただ途方にくれるような体験。自分は何もできなかったという無力感が強烈に残ります。同時にdisconnection。これは、まったく「断ち切られてしまうこと」です。それまでその人が持っていた人とのつながり、信じていた神とのつながり。「だれもわたしを助けてくれなかった」そう感じさせられ、関係が断ち切られてしまうのです。まったくの「孤立無援」を体験するのです。
 そして、だからこそPTSDからの回復の原則はempowermentとreconnectionだと、ハーマンは言います。empowermentは「有力化」と訳されますが、外から力を与えるのではなく、その人の中にまだ残っている力を認め、それを引き出し、伸ばすことです。reconnectionのほうは「再結合」と訳されています。失われた関係、断ち切られた関係をもう一度取り戻して行くのです。これは福島の被災地にかかわるわたしたちの課題、特に丸7年を迎えた今の課題だと思います。

 先日、興味深い話を聞きました。カリタス南相馬のホールで毎日、「眞こころカフェ」というサロンをしています。もともとは仮設住宅の集会所で行われていたサロンなのですが、仮設住宅の集約が進み、集会所も使えなくなったので、前にその仮設にいた人たちが孤立しないで集まれるような場がほしいということになり、カリタスのホールを使ってもらうことになったのです。そこのスタッフは地元の人で、自分も津波で家を流された被災者です。3月を迎え、震災当時のことを振り返る話を聞くチャンスがありました。その人が言っていた言葉で心に残ったのは、「ありがとう、と言わせなきゃならない」という言葉です。たとえば、何かの物資を配ってもらっている。配る方は「ありがとう」という言葉を期待しているわけでない。もらうほうはただ黙ってもらっている。そこでその人は、こう言ったのです。「何黙っているの?人に何かしてもらったときはなんて言うか、親に習わなかったの?」それでもらった人は「ありがとう」って言う、その後の人も「ありがとう」って言うようになる。そうしたら皆、だんだん顔が明るくなって行った、というのです。「もらっているだけ。してもらっているだけ」という状態から、どうやって、一歩踏み出していくか。してもらうことが当たり前になってはいけない。本当に大きな課題だと思います。
 そして、コミュニケーションが大事だともおっしゃいました。「ありがとう」を言うところからコミュニケーションが生まれる。たとえば家の中のものを片付ける手伝いに行って、勝手にどんどん運んでしまえば、コミュニケーションは生まれない。それで、「どうしてほしいのか、どこに置いてほしいのか」しつこいぐらいに聞くのだそうです。そうやってコミュニケーションを作ることが大切だとおっしゃいました。
 すごい知恵だと思いました。まさにempowermentとreconnectionなのです。その人のできることを奪わない。その人の他の人とのつながりを取り戻していく。被災者ご自身がそうやって歩んでおられるのはすごいことです。でもそうできない人もいます。取り残され、立ち止まったまま、孤立してしまう人も少なくありません。そこにどんなお手伝いができるか、「人間の復興」「心の復興」、empowermentとreconnectionということを大切にしながら寄り添っていくことがこれからの大きな課題だと思います。

 もう一つ、言いたいことがあります。それは原発のことです。
 東日本大震災は7年前にありました。でも原発事故は「7年前にありました」とは言えません。それは今も終わっていないのです。昨日この聖堂で小出裕章さんという元京都大学原子炉実験所の助教、原子力工学の専門家の方の話を聞きました。改めて、事故は終わっていないということを強く感じさせられました。
 先日、4月に開校する「なみえ創成小中学校」に行って、児童生徒を迎えるための花植えをしてきました。浪江町は一年前に海側が避難指示解除になりましたが、まだほとんど人が帰っていません。そこに全面的にリフォームされた立派な校舎がありました。でも校長先生の話では、今のところたった10人の児童生徒しか入学を申し込んでいないそうです。これが現実です。その時に一緒に行った浪江町出身の方は「当然だ」と言いました。彼は南相馬市に住んでいて、浪江町には帰っていません。「今も事故が続いている第一原発、そして福島第二原発も含め、10基も原子炉があるところに帰っていかないのはあたりまえ」と言っていました。原発に対する信頼が完全に失われているのを知らされました。
 どんなに対策をしても事故は起こりうる。起こった場合の被害は甚大になる。そのことを福島の事故は教えてくれました。そのほかにも被曝労働なしには原発は成り立たないという問題。核廃棄物の処理方法がないという問題。原発をやめて行くのは当然のことだと思います。日本司教団も原発をやめていくべきだと考えています。2011年11月にここ仙台で司教団の集まりがあり、脱原発のメッセージを発表しました。政治的な問題ではなく、人間のいのちと尊厳に関わることとして発言せざるをえなかったからです。
 今、目先のことだけを考えて、原発を再稼働させていこう、外国にも売り込もう、というのはとんでもないことです。将来の人類に対する責任の放棄です。「とにかく原発はやめていく」、この前提に立ってこれからのことを考えるのが当然ではないでしょうか。
 フランシスコ教皇が繰り返し語っている言葉に「時間は空間に勝る」という言葉があります。「問題を空間的に見る。するとあそこが問題、あそこにISの拠点がある、だからあそこを空爆しなければならない」こういうのが教皇のいう空間的な見方です。でももっと大切なのは、時間を、プロセスを大切にすること。ほんとうに平和に向かって、対話と相互理解を積み重ねていくこと。今すぐにすべての問題を解決しようとするのではなく、時間をかけて、一歩一歩進んでいくこと。そのほうが大切なのだ、というのが「時間は空間にまさる」という言葉の意味だとわたしは受け取っています。
 目先のことばかり、目先の損得ばかりを見ているのは悲しいことです。大きな目で見て、長い目で見て、本当にどこへ向かっていくのかが問われていると思います。「今、電力が必要だ、今、原発をなくせない」たとえそうだとしても、10年後、20年後に原発はやめていくという目標を立てて、そこに向かっていく。それが大切だと思います。そしてそれは可能だと思います。

 「どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」(ローマ8・39)
 「天の父は、求める者に良い物をくださる」(マタイ7・11)
 今日のミサの聖書朗読はこのいつくしみ深い神に信頼するように呼びかけています。神に対する大きな信頼をもって祈りましょう。
 改めて今日、東日本大震災で亡くなられた方々、原発事故などの影響でその後に亡くなられた方々のために。いつくしみ深い父である神が、その方々をご自分の永遠のいのちにあずからせ、神のみもとで安らかに憩わせてくださいますように。
 また、亡くなった人の遺族の方々、被災された方々、残されたわたしたちが本当に支え合い、つながりあって生きることができますように。
 さらにまた、この震災と原発事故の教訓を忘れず、子どもたちのためによりよい社会、よりよい地球を残すことができますように。
 心を合わせてお祈りいたしましょう。

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