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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

受難の主日のミサ



イエスの受難、死、復活を記念する聖週間を迎えました。
東京は桜が満開だと聞きますが、ここ南相馬ではまだまだ。
でも昨日今日の暖かさで一気に咲くのかもしれません。

●受難の主日(枝の主日)・世界青年の日
 聖書箇所:枝の式=マルコ11・1-10 ミサ=イザヤ50・4-7/フィリピ2・6-11/マルコ15・1-39
   2018.3.25カトリック原町教会
 ホミリア
 『ミサ典礼書』の今日の箇所には特別な指示があって、「受難朗読の後、適当であれば簡単な説教を行う」なっています。十字架について難しい話を聞いて頭で考えるよりも、心で黙想しなさい、ということでしょう。でも少しだけお話ししたい。

 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
 まるで絶望の叫びのように聞こえるこの叫び、これがマルコ福音書の伝える十字架のイエスの叫びです。詩編第22編の冒頭の言葉です。詩編というのはイエスの時代よりも何百年も前のイスラエルの中で形作られた祈りであり、詩です。圧倒的に多いのは「嘆願の詩編」。苦しみの中から神に救いを求める祈りで、その代表とも言えるのがこの詩編22編です。多くの詩編には「ダビデの詩」という小見出しが付いています。この詩編22もそうです。ダビデは紀元前1000年ごろの有名なダビデ王のことで、ダビデは歌を歌う人として有名なので多くの詩がダビデのものとされました。しかし、ほんとうは「読み人知らず」のような詩が多いのです。作者がだれというよりも、長い年月、歌い継がれ、祈り注がれて来た言葉がここにあります。
 イエス以前の、どれだけ多くの人がこの詩を唱え続けてきたことでしょうか。そこには本当にどうしようもない苦しみの中から祈る人の姿があります。その一人一人は孤立しているように見えますが、でも、本当に大きな、延々と続く人々の群れです。
 イエスはその一員として、多くの人の苦しみと一つになって、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。
 十字架のイエスは、当時のユダヤの指導者たちから排斥され、弟子たちから裏切られ、群衆からも見放され、ローマ帝国の死刑囚として処刑されていった、その無力で、ただ苦しむ人になってしまったイエスの姿をマルコは伝えます。その極限の姿が、この十字架上の叫びに表れています。この詩は答唱詩編で歌われましたが、新共同訳で読みます。

 2わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。
  なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
 3わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。
  夜も、黙ることをお許しにならない。」
 7わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
 8わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。
 9「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」
 12わたしを遠く離れないでください/苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
 13雄牛が群がってわたしを囲み/バシャンの猛牛がわたしに迫る。
 14餌食を前にした獅子のようにうなり/牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
 15わたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ
  心は胸の中で蝋のように溶ける。
 16口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。
  あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
 17犬どもがわたしを取り囲み
  さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。
 18骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め
 19わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。

 まさに十字架のイエスの苦しみそのものです。イエスは数多くの人々と同じ苦しみを味わいました。ここに、苦しみの中にあって孤立し、どうにもならないところまで追い詰められたすべての人と連帯するイエスの姿が表れています。
 マルコ福音書はローマ帝国の迫害の中で書かれたと言われます。マルコにとって、この十字架のイエスの姿は、自分たちの姿そのものだったのでしょう。迫害の中、ただ無力で、ただ苦しんでいる、その自分たちと同じ苦しみをイエスは味わってくださった。それがマルコの伝える十字架のイエスの姿です。そこからどれだけ多くの励まし、力づけを得たことでしょう。イエスの後に続く、それこそ果てしなく多くの苦しむ人々の群れ。その人々によって、この詩編は歌い継がれていきました。そして多くの人に自分の苦しみがイエスの十字架の苦しみとつながっていることを悟らせてくれました。
 この詩編はただの苦しみ、嘆き、嘆願で終わりません。苦しみの叫びはやがて神への賛美に変わっていきます。

 23わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します。
 24主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。
  イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
 25主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。
  御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。
 26それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ
  神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。」

 「神は苦しむ人の叫びを必ず聞いてくださる」これがイエスの確信であり、わたしたちキリスト者の確信です。十字架のイエスと共に、苦しみの中から祈り、神に信頼しましょう。この世界のたくさんの人々の苦しみ、この東北の苦しみ、この浜通りの苦しみ、それを共に担ってくださる十字架のイエスを見つめ、イエスと共に神に信頼と希望をおいて歩むことができますように。

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