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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活節第4主日



カリタス南相馬のスタッフが南相馬市小高区の方からたけのこをいただきました。
念のため、放射線量を測ってもらい、問題なしということでしたので、
木の芽和えを作ってみました。

日曜日は午前中に原町教会で聖書講座とミサ、午後は宮城県・大河原教会でもミサをささげました。
やっぱりこれがわたしのvocationなのでしょう。

●復活節第4主日・世界召命祈願の日
 聖書箇所:使徒言行録4・8-12/一ヨハネ3・1-2/ヨハネ10・11-18
    原町教会・大河原教会
 ホミリア
 世界召命祈願の日。世界中で召命のために祈る日。昔から復活節第4主日にはヨハネ10章の「よい羊飼い」の箇所が読まれ、伝統的に「良き牧者」の主日と呼ばれていました。そこから、教会の中に「良き牧者」である司祭が多く生まれるように祈る日、ということになりました。「召命」は英語ではvocation、「呼ぶ」という意味のラテン語から来ていて、本来は、神の呼びかけに応える道の意味です。そうであるなら司祭職だけではなく、修道生活も召命だし、結婚生活も召命だと考えられるようになりました。それもやはり召命、神の呼びかけに応える道だと。さらに言えば、結婚しなくても、神の呼びかけに応える道もあります。人それぞれさまざまですが、本当に一人一人が神の呼びかけに応える人生を歩むことができるように祈る。「召命のために祈る」ということですが、今ではとても広いテーマになっています。

 今日の福音は羊飼いであるイエスとわたしたちの深い交わりを表す箇所です。良い羊飼いであるイエスは、羊であるわたしたちのためにいのちを差し出されました。羊飼いが羊一匹一匹をよく知っていて羊を導くように、羊も羊飼いを知っていて、羊飼いの声に聞き従い、羊飼いについていく。これが根本的なvocationのイメージです。
 イエスの声を聞き、イエスについていく、これが根本的な呼びかけ。それは「神の子」としての召命と言ってもいいでしょう。第二朗読でわたしたちは「神の子とされた」と言われています。すべての人がそこに招かれている。わたしたちは神の子として、神が愛であるように、愛するものになっていきたい。イエスが徹底的に愛を生きたように、わたしたちも愛に生きるものになりたい。根本的な、わたしたちみんなの召命です。もちろんわたしたちは皆、十分に、完全にそれに応えることはできていません。でも、最終的に「御子をありのままに見て、御子に似たものとなる」。そう希望し、信頼しながら、神の子としての歩みをしていくのです。
 このような普遍的なキリスト者の召命ということは大切です。

 でも召命はもっと具体的な人生の決断でもあります。日々、どんな働きをしていくのか、どこで生活していくのか、この人生を誰とともに生きていくのか、それは具体的な決断です。自分が決断するよりも前に、神はすべての人のために、それぞれの人にふさわしい召命の道を備えてくださっている、それぞれの人に固有の呼びかけをしてくださっている、これもわたしたちの大切な確信です。それを見つけることが大切なのです。
 教皇は毎年、この日に合わせてメッセージを発表しますが、今年のメッセージの中でこういうことを言っています。

 「福音の喜びは、神との出会いと兄弟姉妹との出会いに向けてわたしたちの心を開きます。しかしその喜びは、ぐずぐずと怠けているわたしたちを待ってはくれません。もっとふさわしいときを待っているのだと言い訳をしながら、窓から見ているだけでは、福音の喜びは訪れません。危険をいとわずに今日、選択しなければ、福音の喜びはわたしたちのもとで実現しません。今日こそ召命のときです。キリスト者の使命は今現在のためのものです。そしてわたしたち一人ひとりは――結婚して信徒として生きるにしても、叙階されて聖職者として生きるにしても、また特別な奉献生活を送るにしても――、今ここで主のあかし人となるよう求められています。」

 今、神の呼びかけをしっかり聞いて、今、答えなければ、というのです。結構厳しいですね。毎日の忙しさ、目の前のいろいろな課題、あるいは身近なところにある楽しみ。そういうものに振り回されていると、本当に自分の一回限りの人生を何にかけるか、ということを真剣にみつめるチャンスがないまま、時が過ぎて行ってしまう。現代ではこういうことが起こりやすいと教皇は指摘しています。
 最近思うのですが、20代には20代の、40代には40代の、60代には60代の、80代には80代の召命があるのではないでしょうか。わたしは60代ですが、20代でこの道を選び、40代のころは夢中で働き、60代になって自分の限界もいろいろ見えて来て、その中でどのようにこの召命の道を深めていくのか、本当にもう一度、深く神の呼びかけを受け取らないといけない、と感じています。たぶん80代まで生きれば、また別の呼びかけを聞く必要も出てくるのでしょう。
 
 召命の道は喜びの道です。自分の人生の歩みを、「これがわたしなりに精一杯、神の呼びかけに応える道だ」と感じられたら、その人生は本当に輝きます。神はそういう喜びにわたしたちを招いてくれているのです。
 あらゆる世代のわたしたち一人一人が、聖書と祈りの中で神の呼びかけを聞き、それを本当によく聞き分け、日々の生活の中で、それに応えるものとなりますように。心から祈ってこのミサをささげたいと思います。


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