毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

本郷教会 復活徹夜祭

 昨日の本郷教会での復活徹夜祭の中で3人の方々が洗礼をお受けになりました。
 おめでとうございます。

●復活徹夜祭の説教

朗読箇所=第1(創世記1章)、第2(創世記22章)、第3(出エジプト記14章)、
     第7(エゼキエル36章)、使徒書(ローマ6章)、福音(マタイ28章)

 復活徹夜祭のミサは「徹夜祭」という言葉が表しているように、本来は夜中に始まって、明け方まで続く長い典礼でした。今では、現代人の生活リズムに合わせるために、日没後すぐに始まり、2時間ぐらいで収めることができるようになっています。それでも皆さんは長いと感じられるでしょうが・・・。
 この典礼は4つの部分からなっています。最初は「光の祭儀」。夜の闇の中に輝く光。それはすべての終わりだと思われた十字架の死から復活のいのちが輝くことのシンボルです。次は「ことばの典礼」です。旧約の長い朗読がありました。人類の長い歴史の中で待ち望んでいた救い・光・いのちが、イエスの復活において現れたということを味わうのです。第3部は「洗礼」です。水の中に沈み、そこから立ち上がること、それはキリストとともに古い自分に死んで新しいいのちによみがえることを表しています。第4部が「感謝の典礼」。パンとぶどう酒を用いてキリストの死と復活を祝います。特に復活節には復活したイエスが弟子たちとともに食事をしたことを思い出します。イエスは今も生きていて、わたしたちをご自分の食卓に招き、わたしたちにご自分のすべてを与え、わたしたちを生かしてくださるのです。
 
 ほんとうに豊かな徹夜祭の典礼ですが、きょうはこの教会で洗礼式が行われますので、特に洗礼についてお話ししたいと思います。
 洗礼は言うまでもなく、人がキリスト者となる秘跡です。キリストに結ばれて、キリストとともに神の子どもとしての新しい生き方をスタートさせるのが洗礼の秘跡です。キリスト教とは、単なる教えや神学の理論ではありません。それは「道」です。キリストとともに神に向かって歩む道です。洗礼は何かの結論ではなく、神に向かって歩む道の出発点なのです。
 キリストは「わたしは道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14・6)とおっしゃいました。イエスがいのちがけで歩まれたことによってできた道です。イエスはこの道をあなたがたも歩んできなさいと呼びかけます。
 ヘブライ人への手紙にはこういう言葉があります。
 「兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。」(ヘブライ10・19-20)
 「聖所に入る」は比ゆ的な表現です。神のみもとに行くという意味です。イエスはご自分の血と肉をもって、神のものと行く道を開いてくださった。だからわしたちもその道を歩んでいこう、これがキリスト者の歩む道です。

 これは長い道のりです。わたしは特別に今日、洗礼を受ける方々にお願いします。どうかずっとずっとこの道を歩んで行ってください。
 わたしは特定の教会を担当していないので、日曜日にあちこちの教会を訪問します。そこで自分が洗礼を授けた人が、元気に信仰生活をしているのを見るのはとてもうれしいことです。幼児洗礼でも、成人洗礼でもそうです。本当にうれしい。それはそうじゃない人がたくさんいるからですね。洗礼のときは燃えていても、だんだん他のことで忙しくなって教会から遠ざかってしまう人がいます。教会共同体で嫌なことがあったり、引っ越して新しい教会になじめなかったりして、教会を離れてしまう人は少なくありません。教会を離れ、神様とも疎遠になってしまう理由は現代社会ではいくらでもあります。どうしたらいいでしょうか。お願いしたいこと、それは、「祈りと聖書と共同体(平たく言えば、信仰の仲間)」を大切にしてほしいということです。

 毎日祈ること(食前食後の祈り、朝晩の祈り)。日々の時間の中で祈りの時を持つことをぜひとも実行していってください。なぜ必要でしょうか? わたしたちは毎日目に見えるものに心を奪われて生きている。でも本当は目に見えない神とのつながりが大切だということを思い起こすために、わたしたちは祈りの時を持ちます。忘れたら、いつでもまた新たにやり始めてください。

 2つ目は、聖書を読むことです。『カトリック教会情報ハンドブック』という本や『聖書と典礼』にはその日のミサの聖書朗読箇所が載っています。聖書の本文まで全部載っている『毎日のミサ』という便利な本もあります。ミサにあずかることができなくても、家でその箇所を読んだらいいからです。なんとかその習慣を作ってください。祈りと組み合わせるとよいでしょう。毎日、聖書のみ言葉を味わうという習慣も大切にしてください。

 そして3つ目は信仰の仲間です。これは簡単じゃないかもしれません。でも本当に大切です。小教区の中でなくともかまいません。どこかで一緒に信仰の道を歩んでくれる仲間はどうしても必要です。わたしたちの社会は「神なき社会」といわざるをえないでしょう。その中で「やっぱり神様はいるよね。だから信仰と希望と愛をもって生きることは決してむなしくないよね」そう言って励ましあえる仲間を是非、見つけて大切にしていってください。
そして、この祈りと聖書と信仰の仲間のすべてを表し、実現し、祝うのがミサなのです。このミサとずっとつながっていてください。

 きょうの福音にこういう言葉があります。
 「イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われた」(マタイ28・9)
 「行く手に立つ」と訳された言葉は直訳すれば「出迎える」という言葉です。「おはよう」と訳された言葉は、直訳では「喜べ」です。洗礼を受ける皆さん、皆さんのキリスト者としての道がきょうから始まります。その道のいたるところにイエスは立っていて、わたしたちを出迎えていてくれて、「恐れることはない。喜びなさい」と語りかけてくれています。
 皆さんがそのイエスに支えられながら、信仰の道を歩み続けることができますよう、ここに集う一同で心を込めて祈りながら、洗礼式を行います。


easter candle

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