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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第11主日



写真は今朝のカリタス農園。
このところの寒さが心配で、見に行ってきました。
だいじょうぶ!
さつまいも他、順調に育っています。

●年間第11主日
 聖書箇所:エゼキエル17・22-24/二コリント5・6-10/マルコ4・26-34
         カトリック原町教会
 ホミリア
 さゆり幼稚園では、今年、さつまいも掘りが行われることになりました。八年ぶりのことです。震災前は行われていたそうですが、震災後、子どもたちが土に触れること、この地で採れたものを食べることは考えられなくなり、芋掘りもずっとできませんでした。しかし、8年目の今年はもう大丈夫ということになり、萱浜のカリタス農園(放射線量が低いところです)で芋掘りをすることになりました。先日、年長さんたちがそのお芋の苗を植えるという体験もしてきました。収穫までに一度みんなで見に行き、秋には皆で収穫して、焼き芋を食べるということになっています。カリタス南相馬は責任重大で、なんとか無事にお芋ができるように祈るような思いで見守っています。
 子どもたちがそうやって、植物の成長を見守ることができるのはすばらしいことだと思います。人間の力で何でもできるのではない。時間をかけて、自然の力で植物は成長していく。そしてその背後には目に見えない神様の働きがある。そのことを驚きをもって感じてくれたらいいと思っています。
 さて、今日の福音は植物の成長のたとえです。「人の知らないうちに、土はひとりでに実をを結ばせる」「からし種は蒔くときは小さいが、成長すると大きな木になる」イエスはどんなときにこのたとえを語られたのでしょうか。

 イエスの根本的なメッセージは「神の国は近づいた」というものでした。
 「神の国」の「国」はギリシャ語で「バシレイア」と言い、もともと「バシレウス=王」という言葉から来ています。英語で言えば、kingに対するkingdomにあたる言葉です。だから本当は「王国」と言ったほうが正しいのです。ただ現代では「王国」というイメージがあまりピンと来ないので、「神の国」と訳されています。でも本当はこの「王」のイメージは大切。神の国とは地理的な国というよりも、「神が王となってくださること」と言ってもよいからです。
 イエスの時代、パレスチナに王はいませんでした。イエスが誕生したときは、ローマ帝国の傀儡のようなヘロデ大王という人が一応はいましたが、イエスの活動した時代には、もう王と呼ばれる人はいなくなっていました。パレスチナを支配していたのはローマ皇帝でした。でもイスラエルの人々は本当の王は神だと思っていました。いつか本当に神が王になってくださる、そして自分たちをローマ帝国の支配から解放してくださる。その期待を持っていました。
 ですから、イエスが神の国の到来を告げた時、神が王となってくださると告げたとき、人々はいよいよローマ帝国との戦いのとき、ローマ軍を追い払って、自分たちが独立を回復するときが来たというメッセージに聞こえたのではないでしょうか。

 でも現実にイエスのまわりで起こっていることは、小さなことでした。イエスの福音の呼びかけは次のようなものでした。「神は王となってくださる。神はお父さんと呼べる方であり、どんな人も例外なく大切にしてくださるかた。その神はあなた方一人一人を決して見捨てることなく、救いに近づいて来てくださる」イエスは人々にそう語りかけました。そのメッセージに答えて大勢の人々がイエスの周りに集まって来ました。でもそれは屈強は男たちというのではなく、むしろ、病人や障害者、女性や子どもたちでした。
 「神の王国と言っても、こんな人々で何になるのか」
 そういう疑問はイエスに従う人たちの中からも起こったでしょう。

 そんな状況の中で今日の福音のたとえ話が語られたと考えてみたら、ものすごくよく分かるのではないでしょうか。
 植物の種は人間が知らないうちに成長する。からし種は最初は小さいけれど、最後にはものすごく大きな木になる。神の国もそうだ。今はほんとうに小さな、弱々しい存在でしかないかもしれない。でも種が本物で生きていれば、それは大きく成長する。人間の力で成長させるのではない。神が成長させてくださるのだ。

 わたしたちはここ福島県浜通り北部に神の国の種を見つけたいのです。過疎高齢化は震災前からあったでしょう。地震、津波、原発事故によって大きなダメージも受けました。今も受け続けている面があります。身近な人を亡くされた方も少なくありません。家、仕事(農業や漁業)といった生活の基盤を奪われた人もおおぜいいます。多くの地域コミュニティー、多くの家族の絆も壊されてしまいました。
 でもここで素晴らしいことが起こっているのも事実です。原町の人、相馬や鹿島の人、小高や浪江の人、それぞれの置かれた場で、なんとか地域を、人間を、人の心を復興させたい、そのために人と人とのつながりを取り戻したいと願って働いている人と出会います。仏教やプロテスタント・キリスト教会の方も含めて多くの人に出会います。そして、ここにわたしたちの小さなキリスト教共同体があります。原町教会とカリタス南相馬、さゆり幼稚園があります。ここで傷つき、奪われた人と人とのつながりを少しでも取り戻していきたい。人と自然、人と神とのつながりも取り戻していきたい。そう願ってわたしたちは集まっています。
 これが神の国の芽生えです。
 なんてちっぽけな、なんて弱々しい。確かに人間の目から見たらそのとおりです。でも「種が本物で生きていれば、必ず神が成長させてくださる」そう信じて、わたしたちは種を蒔き続けるのです。その種を神が大きく成長させてくださるよう、今日のミサの中で、信頼をもって祈りましょう。


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