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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日



6月23日、フランシスコ教皇はわたしの東京教区補佐司教辞任願いを受理すると発表してくださいました。
正直、ホッとしています。

これまで支えてくださった皆様にあつく御礼申し上げます。
またご迷惑をおかけした皆様に心からお詫び申し上げます。

これからも原町教会とカリタス南相馬での活動を続けさせていただきます。
福島で皆様のお越しをお持ちしています。

(写真は沖縄慰霊の日を前に、カリタス南相馬で沖縄料理をいただいたときのもの。
下から、もずく・ゴーヤ・島らっきょうの天ぷら、ラフテー、フーチャンプルーです)

●洗礼者聖ヨハネの誕生
 聖書箇所:イザヤ49・1-6/使徒言行録13・22-26/ルカ1・57-66、80
       2018.6.24 カトリック原町教会にて
 ホミリア
 洗礼者ヨハネから新しい何かが始まった。キリスト教は常にそう考えて、ヨハネを大切にしてきました。ヨハネは旧約の預言者の最後の人でもありますが、同時にイエス・キリストの先駆者として、新しい時代の始まりを告げる人でもありました。洗礼者ヨハネの祝日は二つあります。今日の誕生の祭日と8月29日の殉教の記念日です。でも誕生の方が大きく祝われています。それはヨハネから新しい時代が始まっているということを祝うためです。
 今日のルカ福音書の洗礼者ヨハネ誕生の場面を味わいたいと思います。

 エリサベトは高齢であり、子どもがありませんでした。そのことは当時の女性にとってとても大きな苦痛でした。子どものできない理由は女性の側にあるというひどい偏見が、この時代には強くありました。夫ザカリヤも年をとっていて、子どもがいないのはさびしいことだったでしょうが、彼女ほどの苦しみはなかったとも言えます。
 その高齢のエリサベトがみごもって、子どもを産んだのです。そこに人々は神の大きな働き、いつくしみ深い働きを感じました。
 「近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。」
 この「喜び合う」という日本語訳はなかなかステキですが、直訳では「一緒に喜んだ」です。一人の喜びが、みんなの喜びになっていく。誰かが悲しんでいれば、他の人も一緒に悲しみ、誰かが喜べば、みんなが喜ぶ。そこに神のもとでの共同体の姿があります。
 現実の社会では、そうとばかりはいえない。誰かの喜びは、他の人の妬みの対象になったりして、それがみんなの喜びになるとは限らない、そういう悲しい現実もたくさんあります。でもここで「主がエリサベトを大いにいつくしまれた」というのです。それはエリサベトだけが恵まれてラッキーというのではなく、神が本当にわたしたち人間を愛してくださり、特に苦しむ人に目を注いでくださる、そう感じたときに皆が喜べるようになるということでしょう。

 わたしたちはこの地でキリストの共同体でありたいと思っています。その共同体の特徴はやはり「共に喜ぶ」共同体だと言ったらいいと思います。神がわたしたち一人一人にいつくしみの目を注いでくださっている。そのことを感じながら、誰かが喜べば一緒に喜び、誰かが悲しめば一緒に悲しむ、そういう共同体でありたいのです。
 ミサに集まるわたしたちの間でももちろんそうですが、それだけではありません。東日本大震災以降、この仙台教区の被災地の教会の課題は、とても明確になりました。それは「地域とともに歩む教会になる」ということです。この言葉はたぶん、阪神淡路大震災のときから使われるようになった言葉だと思います。地域の人々が大きな苦しみや悲しみの中にあるとき、その苦しみや悲しみを一緒に味わいながら歩む教会になりたい。そして喜びや希望も共に味わう教会になりたいのです。
 わたしたちは誰よりもイエスご自身が人々とともに歩まれた方であることを知っています。自分の弟子であるか否か、同じ故郷の者や親戚であるか否か、そんなことと関係なく、本当に出会うすべての人の悲しみを、苦しみを、そして喜びを共にしながら歩まれた方であると知っています。だからわたしたちも周囲の人々の悲しみや喜びを少しでも一緒に味わいながら生きていきたいのです。

 この教会は震災で大きなダメージを受けました。建物や放射能汚染というダメージだけでなく、信徒の中でも遠くに避難された方も少なくありませんでした。残った人たちで必死に教会を守ってきてくださいました。でもそれだけでなく大きな恵みも体験してきたと思います。ここにやってきたシスターやボランティア。そして全国、全世界から差し伸べられたさまざまな支援と連帯の手。そういうものに励まされて、歩んできたのだと思います。そう気づいた時、もはや内向きの、自分たちだけで成り立っている教会のイメージを持つことはできません。大きなつながりの中にあることを思いながら、この地域の人々にどうやって教会を開いていくか、それがわたしたちのチャレンジだと思うのです。
 ここでわたしが話している教会とは、原町教会の信徒名簿に載っている人の共同体というだけではありません。小教区とカリタス南相馬のスタッフ、ボランティア、この地にある修道院のシスターたち、3.15いのちの光のスタッフ、そしてある意味ではさゆり幼稚園の皆さんを含む、キリストのもとに集う者の集まりです。
 このわたしたちの課題が「地域とともに歩む教会」なのだとわたしは思っています。本当に周囲の人々と共に泣き、共に喜ぶ共同体になっていきたいのです。

 わたしたちは今日、エリサベトと幼子ヨハネを取り囲む人々の中に、新しい時代の始まりを見ています。希望の始まりを見ています。そのわたしたちが、神の救いといつくしみを周りの人々とともに喜び合う者として歩み続けることができますよう、今日、心を合わせて祈りたいと思います。


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