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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第16主日



小高い場所から見た南相馬市原町区の景色。
ほとんど分からないかもしれませんが、中央の奥にカトリック教会の建物が見えます。

●年間第16主日
 聖書箇所:エレミヤ23・1-6/エフェソ2・13-18/マルコ6・30-34
           2018.7.22カトリック原町教会
 ホミリア
 今日の福音の結びの言葉はこうです。
 「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」
 このイエスの眼差しを感じたい。このイエスの姿を思い起こしたい。イエスは今のわたしたちの世界を見て、どう感じておられることでしょうか?
 今の社会を見ていて、わたしが強く感じることは、あまりにも目先の損得だけで動いているのではないか、ということです。この国にカジノが必要でしょうか? だれかが儲けて経済にもいい影響がある、ということだけのために、長い目で見てどれだけ大切なものが失われるかもしれないということはまったく忘れられてしまうのです。原発の再稼働、防衛費の増加、オリンピック。目先の損得の話がまかり通ってしまう。そんなことが多すぎます。このままでは本当にこの国は、この世界は滅びへと向かっているのではないかと心配になります。

 そう考えているうちに、フランシスコ教皇の「時間は空間に勝るTime is greater than space」という言葉を思い出しました。教皇は、この言葉を何度も使っています。わたしが最初に触れたのは、2013年(教皇に就任した年)に出された使徒的勧告『福音の喜び』223項でした。そこでは平和のための4つの原理の中の第一のこととして、「時は空間に勝る」ということが語られています。
 「この原理は、早急に結論を出すことを迫らず、長期的な取り組みを可能にします。また、困難であったり反対を受けたりする状況に辛抱強く耐えることや、力強く動く現実によって迫られる計画の変更を助けます。」「空間を優先させることは、現在の時点ですべてを解決しようとする、あるいは、権力と自己主張が及ぶ空間すべてを我が物にしようとするという愚かな行為へと人を導きます。」「時を優先させるということは、空間の支配より、行為の着手に従事するものです。」
 問題を空間的に見て今すぐに問題をすべて解決しようとすると力に頼ることになる。それは愚かなことであって、そうではなく、時間をかけて対話と相互理解を積み上げていくことのほうが平和のために大切だというのです。

 2015年に発表された回勅『ラウダート・シ』178項にもこの言葉が出て来ます。
 「即時効果に気をもむ政治は、消費者層に支持され、短期的な成長を生み出すことに駆り立てられます。」「このようにわたしたちは、『時は空間に勝る』こと、権力の座にしがみつくよりもむしろ歩みを進めるほうがつねに効果的だということを忘れます。困難に際して、わたしたちが気高い原則を掲げ、長期的な共通善を思い描くとき、真の政治的手腕が明らかになります。政治権力者たちは、国造りの仕事におけるこうした義務を引き受けることをとてもつらいことだと思うのです。」
 政治家は「短期的な成長を生み出すことに駆り立てられる」と言います。気高い理想を掲げ、長い目で本当にあるべき世界に向かっていくよりも、目先の損得で動くという指摘はあたっています。まさに今の日本と世界の問題です。「時は空間に勝る」というのは長い目でものごとを見て「目先の損得に振り回されない」ということでもあると思います。

 目先の利益ばかりを追い求めた結果、人類は本当に飼い主のいない羊のように滅びへと向かっているのではないでしょうか。別に悲観的なことを言いたいのではありません。でもやはりわたしたちは本当にこのままでいいのか、という危機感を持たなければならない時代に生きていると思います。現代の世界の中で「飼い主のいない羊」のような人々。イエスはこの人類を見て、「深くあわれんで」くださっているのではないでしょうか。
 この「深く憐れむ」と訳された言葉はギリシア語で「スプランクニゾマイ」と言います。「はらわた」という名詞に動詞の語尾をつけたもので、「目の前の人の苦しみを見たときに、こちらのはらわたがゆさぶられる」ということを表す言葉です。相手の痛みを自分の体で感じるような深い共感を表す言葉なのです。沖縄には「チムグリサ(肝苦さ)」という言葉がありますが、普通の日本語だったら「胸を痛める」でしょうか。亡くなった東京教区の佐久間彪神父はこの「スプランクニゾマイ」を「はらわたする」と訳しました。

 イエスはこの場面で、はらわたして、そして「教え始めた」とあります。
 イエスが語っていたのはいつも神の国の福音でした。神はすべての人の親(アッバ)であり、すべての人が神の子。アッバである神はわたしたちすべてを救うために、近づいて来てくださっている。その神に信頼して、心を開き、応えていこう。これがイエスの語った神の国の福音でした。
 本当に大きなビジョンをイエスは示されました。目先の利益じゃないのです。時間をかけて、一歩一歩、そこに近づいていく、そういう大きなビジョンを示す、それが羊飼いとしてのイエスが示されたことだったと言えるのではないか。わたしたちはこのイエスを信じています。だからわたしたちは、目先のものに振り回されずに生きていきたいし、生きていけるのです。
 「神の国がいつか完成する」「神の愛がすべてにおいてすべてとなる」「そのとき、本当にすべての人の尊厳が尊重され、本当の意味での平和が実現する」、その大きなビジョンを持って、そこに向かって歩んでいきたい。目先の損得で原発をどうするか、安全保障をどうするか、そういう問題を超えて、神の国が来ますように、神のみこころが実現しますように。そこに向かって一歩一歩近づいていくことができますように、心から祈りましょう。


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