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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第17主日



相馬野馬追2日目、ひばりヶ原祭場で、甲冑競馬の出走を待つ馬たちです。
この行事の交通規制のために、主日のミサは午後3時からに変更されました。
でもそのおかげで、甲冑競馬も神旗争奪戦も見ることができました。
夜は小高の火の祭り、月曜日は小高神社での「野馬懸け」
盛りだくさんの行事を拝見させていただきました。
そして、お祭りのボランティアの皆さん、お疲れさまでした!

●年間第17主日
 聖書箇所:列王記下4・42-44/エフェソ4・1-6/ヨハネ6・1-15
2018.7.29カトリック原町教会
 ホミリア
 わたしたちキリスト信者は食事の前にお祈りをします。カトリックの祈りの本に載っている祈りは簡単なものです。十字架のしるしをしてからこう祈ることになっています。
 「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」
 もっと自由に長い祈りを唱えてもいいのですが、最低限、いつもこれくらいの祈りはしたいということでしょう。周りの人がいる手前、十字架のしるしをしにくいことありますね。声を出すのが難しいことも。それならば、心の中でそっと祈ればいい。さらにもっと時間がなければ「神様いただきます」だけでもいいでしょう。何よりもこの食事が神からいただいたものであることを思い起こし、感謝するのです。日本の習慣で、「いただきます」というのもただ単に食事を作ってくれた人への感謝だけでなく、もっと大きな神や自然、さらに農家や流通に携わっている人のつながりへの感謝を表す言葉でしょう。
 もちろんそういうすべてに感謝しますが、わたしたちの食前の祈りは、やはり「神様いただきます」ですね。たまたま偶然にこの食べ物があるからラッキーというのではなく、自分のお金で手にいれたのだから当然というのでもなく、神から与えられたものとして受け取る。食事はいのちのシンボルです。わたしたちのいのちも、それを養うすべての恵みも神からいただいたものとして感謝する。これが食前の祈りの心です。

 この食前の祈りの原型はやはりイエスの姿にあります。今日の福音はその一つの典型的な例です。多くの人がイエスの周りに集まっていました。男の数は5000人、ってひどい話ですよね。当時のユダヤの社会では、女性や子どもは人数にも入らなかったのです。とにかく大群衆でした。イエスはその人々に食べ物を与えようとされました。でもパンが5つと魚が2匹しかありません。どう考えても足りないのです。それでもイエスは天を仰ぎ、賛美の祈りを唱えました。このパンは神からいただいたもの。だから自分たち少人数の人が満たされればいいのではなく、ここにいるすべての人と分かち合いたい、これがイエスの心でした。イエスの食事にはいつも、この神とのつながり、そしてすべての人とのつながりがはっきりと示されていました。
 わたしたちの食事もそうです。「わたしたちの心と体を支える糧としてください」そこで言っている「わたしたち」は今、ここで一緒に食事をしているわたしたち、だけでなく、飢えに苦しむすべての人のことと考えてもいいと思います。食後の祈りは、もっとはっきりしています。
 「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。あなたのいつくしみを忘れず、すべての人の幸せを祈りながら」
 自分たちさえよければいい、というのではなく、すべての人と神からの恵みを分かち合いたい、それがイエスの心です。世界中で飢えに苦しむ人、わたしたちの近くにもいるかもしれない飢えや孤立、さまざまな苦しみを抱えている人のことを思い、その人々にも神からの恵みを分かち合いたい。食事のたびにわたしたちはそのイエスの心を味わい、イエスの心に結ばれたいのです。

 さて、食事の前に神を賛美し、食事の後に感謝の祈りを唱える。それと同じようなことを1日の始めと終わりにもします。今日一日、新しい日を迎えさせてくださったことを神に感謝し、賛美をささげるのが朝の祈りです。そしてその1日を振り返り、感謝するのが晩の祈りです。1日を振り返るといろいろ足りない点や過ちも思い出しますから、その点は神にゆるしを願います。でも神がともにいてくださった1日として振り返って、感謝し、だからこそ、そこですべての人のために祈ります。この朝晩の祈りも大切したいことです。

 さらに一週間のはじめにこうしてミサに参加して祈る。これもわたしたちが大切にしていること。一週間の恵みを思い起こして、神に感謝し、その恵みをすべての人と分かち合いたいという思いですべての人の幸せのために祈り、また新しい一週間を始める。これもわたしたちが大切にしていることです。こうして、食事のたびごとに、また、毎日の始めと終わりに、さらに、週の始めの日に祈る。祈ればわたしたちの生活は神とともにいる生活になります。祈らなければ、やはり神と程遠い生活になってしまうでしょう。

 5つのパンと2匹の魚を前に、祈りをささげ、それを分かち合ったイエスの姿を思い出しながら、わたしたちの日々の祈りの意味をもう一度見つめ直したいと思います。
 祈る習慣がなかなか身につかない、という人もいるでしょう。
 祈りが言葉だけのまんねりのものになっていると感じている人もいるでしょう。
 今日の福音のイエスの祈る姿を思い出しながら、あきらめずにもう一度、本当に心から神に祈る日々を始めていきたいと思います。


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