FC2ブログ

毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第18主日



森永マンナ。こんなパックで売っていました。

●年間第18主日
 聖書箇所:出エジプト16・2-4、12-15/エフェソ4・17、20-24/ヨハネ6・24-35
        2018.8.5カトリック原町教会
 ホミリア
 今日の第一朗読と福音には「マナ(マンナ)」という不思議な食べ物のことが語られています。紀元前13世紀、エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエルの民が、約束の地に向かって歩んで行く荒れ野の旅の中で、神が与えた食べ物です。「天からのパン」とも言われます。
 そう言われてもなかなかピンとこないと思いますので、昨日の夜、ヨークベニマルで買ってきました。わたしの子どものころからありますが、離乳食のようなビスケットで、「森永マンナ」といいます。残念なのは今ではビスケットの形が変わり、パッケージも変わってしまったことです。以前は「マンナ」という名前の説明が書いてありました。マンナとは「旧約聖書にある、“神が荒野をさまよえる民に与え給うた愛の食べ物”」と書いてあったのです。森永の社長はクリスチャンだったので、こういう名前をつけたんですね。この説明がなくなってしまったのはとても残念です。いいカテケージスになったのに!

 マナという食べ物が実際にどんなものだったのか、あまりよく分かりません。聖書によれば、マナには二つの特徴がありました(出エジプト記16章参照)。
 一つは「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。」すべての人に必要なだけ与えられたということです。
 もう一つの特徴は翌日までとっておけない。翌日まで取っておくと腐ってだめになってしまう。その日の分をその日に集めなければならない、ということ。

 荒れ野は厳しい環境です。ぎりぎりの食べ物しかなかった。でも神はその中でいつも一人一人を養ってくださった。そこにはある意味で平等な世界がありました。しかし、約束の地に入り定住生活を始めると事態は変わります。人は土地を耕して作物を収穫し、それを蓄えるようになる。そしてだんだんと貧富の差が広がっていく。そこからものを奪い合う争いも起こる。そうなったところから振り返ってみると、マナの世界はある意味、理想の世界でした。マナの世界は決して物質的に裕福な世界とは言えない。しかし、神に生かされ、人と人とが分かち合って生きる世界。これが本当に大切な世界。イエスが五つのパンと二匹の魚の出来事をとおして示してくださったのもその世界。いや、これはイエスが生涯かけて人々の伝えようとしたメッセージの核心と言ってもいいでしょう。

 人はついつい、いつの間にか神を忘れ、自分の力で生きている、と思い込むようになります。そうすると、あの人は自分より劣っていると他人を見下してみたり、逆に自分なんかやっぱりダメ、どうせ救われないんだ、と絶望したりする。イエスの時代の社会を支配していた律法主義の問題はそれでした。イエスはそうじゃない世界を示しました。どんな人も例外なく大切にしてくださる神(アッバ)がいること。だから、わたしたちはその神に感謝し信頼することができるということ。そして与えられたものを皆で分かち合って生きる喜び。人と人との間にあるのは、競争心や勝ち負けや憎しみや差別、そんなものではなく、神が与えてくださったものを皆が分かち合い、互いに尊重し合って生きること。神はアッバであり、わたしたちはみな、神の家族、兄弟姉妹なのだ。社会の中で罪人のレッテルを貼られていた人、汚れているとされた病人、一人前の人間と見なされていなかった女性や子ども、差別されていた外国人。その人々に「あなたも同じ神の子だ、兄弟姉妹なのだ」、イエスはそう語りかけていきました。だから本当にお互いを、人種や民族、性別や職業の違いを超えて一人一人を、誰一人例外なく、尊重し合って生きていこう。それが神の国だ。わたしたちはみんなそこに招かれているのだ。———イエスはこのことを命がけで人々に伝えました。

 わたしたちもこのマナの世界に招かれています。
 イスラエルの民の荒れ野の旅は40年間だったと言われています。40年! わたしたちが聞いている福島第一原発の廃炉までの期間と同じですね。こちらのほうは本当に40年で廃炉にできるという保証はない。むしろ自分たちの世代では無理だと言っているようなものかもしれない。
 わたしたちも今、厳しい荒れ野の旅を歩んでいると言えるのかもしれません。でもわたしたちには天から与えられたパンがあります。恵みとして、この教会が与えられ、さゆり幼稚園が与えられ、カリタス南相馬が与えられ、そこでさまざまな人と人との出会いがあります。神が今日、わたしたちを養い、生かしてくださっていることを感謝し、いただいた恵みを皆で分かち合いながら歩んでいく。ここには大きな恵みの世界があります。あの震災と津波、原発事故で失われたもの、奪われたものはたくさんありました。でもわたしたちは生きています。神によって生かされています。その生かされたいのちを感謝し、苦しみも喜びも分かち合いながら歩んでいく。そこにマナの世界があります。そこに5つのパンと2匹の魚の世界があります。

 今日もわたしたちはこのミサの中で「いのちのパンであるイエス」を祝います。そのイエスを思い起こし、そのイエスに深く結ばれることができますように。アーメン。



PageTop