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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第20主日



南相馬市原町区にある本陣山から雲雀ヶ原野馬追祭場地を見下ろしたところです。
標高60メートル。福島県で最も低い山だとか⁉︎

ここは最近のわたしの散歩コースの一つです。

●年間第20主日
 聖書箇所:箴言9・1-6/エフェソ5・15-24/ヨハネ6・51-58
               2018.8.19カトリック原町教会
 ホミリア
 カリタス南相馬に来ているボランティアで、カトリック信者の人が、「すみません。今日は活動に行きますので、主日のミサに出られません。」とおっしゃることがあります。どうか司祭に謝らないでください!神様に謝ることでもありません。
 この教会の主日のミサの10時という時刻にはちょっと悩ましいものがあります。普通にこのあたりに住んでいる信者にとっては一番参加しやすい時間なのだと思います。でもカリタス南相馬のスタッフやボランティアにとっては、平日と同じように7時のほうが助かるのです。日曜日も大切なボランティア活動の日だからです。どうしてもかち合ってしまう。昨夜も東京のほうから来た「どこでも足湯隊」というグループの方がお泊りになりましたが、その方々は土日の一泊で南相馬に来て、目一杯活動して東京に帰られます。だから当然日曜日のミサの時間にはここにいられません。その中にはカトリック信者の方もいます。せっかく、日曜日に南相馬にいるのに、原町教会のミサに与ることができないのは、残念といえば残念ですね。もちろん、こういうことはボランティアに来ている方々だけのことではなく、誰でも、日曜日にミサに行くことと、別の大切なこと(仕事や家の用事など)の間で悩むことはあるはずです。
 わたしとしては日曜日に7時と10時の二回ミサをしてもかまわないのですが、それはしない、意地でもしないと決めています。心が痛むこともありますが‥‥。やはり一つのミサに集まることを大切にすべきだと思うからです。遠くからここに来て、ここで日曜日を迎えた人には、やはりこの原町の教会共同体と一緒に日曜日を祝わってほしいのです。
 ミサか別のことか、どっちを優先すべきか。皆さん、まあそんなに悩まないかもしれませんが、悩むこともあるかもしれません。もし悩むとしたら、その悩みは無駄ではないと思います。何が一番大切か、と考えるときだだからです。

 今日の福音はヨハネ6章。イエスが5つのパンと2匹の魚を大群衆に配って、皆が満腹したという話に始まって、イエスと人々の間に長い対話があり、その頂点として語られる言葉です。「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」ずっとパンの話でしたが、ここで「肉と血」という表現になっていますから、これは明らかに聖体のパンとぶどう酒のことです。
 これを食べなければ、これを飲まなければ、いのちはない、はっきりとそう言います。本当にミサが大切。聖体をいただくことが大切なのですね。でも、それだけで終わりではなく、さらにこう言われています。
 「56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」
 聖体をいただくということは、キリストと深く結ばれることなのです!キリストに結ばれ、キリストによって生きるものとなる。それはキリストの愛に結ばれること、と言ってもよいと思います。

 フランコ・ソットコルノラというザベリオ会の司祭がいます。物静かなイタリア人です。
熊本の山の中で「真命山 諸宗教対話・霊性交流センター」というのをなさっている方です。日本の霊性とキリスト教の霊性の交流を生涯のテーマになさっていますが、同時にカトリックの典礼学者として世界的に活動されてきた方でもあります。わたしは日本カトリック典礼委員会というところで、一緒に働かせていただいたことがあります。
 何かのときにそのフランコ神父が「愛の記念よりも愛そのものが大切」と言いました。「愛の記念」というのはミサのことです。ミサは十字架の死に至るまでわたしたちを愛し抜かれたキリストの愛を記念するものです。だから大切。でもそれよりももっと大切なのは「愛そのもの」。はっきりそう言われたのが印象に残りました。わたしなんかが同じことを言ってもたいしてインパクトはない。でもこの世界的な典礼学者、誰よりもミサについて深く理解していて、誰よりもミサを大切にしている人が言うのです。「愛の記念よりも愛そのものが大切」。心に残りました。

 日曜日にボランティアに行く人は胸を張ってボランティアに行っていただきたい。仕事や家の用事でミサに来られない人は、胸を張って、それをしていただきたい。ミサに出る人はミサに出る人で、胸を張ってミサに出ていただきたい。病気や高齢のためにミサに来られない人は、胸を張って家で祈っていていただきたい。
 すべてはわたしたちがキリストと深く結ばれるためです。キリストの愛に生きるためです。もう一度、今日のみことばを思い出しましょう。
 「56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」

 愛が一番大切。そして、わたしたちがキリストの愛によって、キリストの愛に生きるために、聖体が大切なのです。そのためにミサが大切なのです。
 この信仰と愛を、わたしたちが生涯かけて深めていくことができますように。アーメン。



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