FC2ブログ

毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第27主日



 日曜日は福岡、月曜日は熊本での講話とミサ。せっかく熊本まで来たので、火曜日は天草巡礼に案内していただきました。10年来の念願であった、天草キリシタン館のルイス・デ・アルメイダ像(舟越保武作)にも会うことができて大満足!

●年間第27主日
 聖書箇所:創世記2・18-24/ヘブライ2・9-11/マルコ10・2-16
            2018.10.7福岡・カトリック大名町教会
 ホミリア
 今日の福音は結婚と子どもの話ですが、結婚したことがないので偉そうなこと言えない。それで両親の話をさせてもらいます。
 わたしの両親は見合い結婚でした。1951年に結婚して、子ども二人(兄とわたし)を育て上げました。しかし、父は70歳になる少し前から物忘れが激しくなっていきました。父は自分でも物忘れすることを自覚していて、忘れてはいけないことを手帳に丹念にメモしていました。ある日、母は何気なく、父の手帳を見ました。そこには衝撃的なことが書かれていました。「この人とは離婚したはずなのに、なぜまだ家にいるのだろう」というようなことが何度も書かれていたのです。母はわたしが行ったときに、その手帳を見せて「お父さん、こんなにおかしくなっちゃった」とすごく嘆きました。わたしは母と一緒に、なぜ父がそう感じているのかを推察してみました。父の記憶は、昔の記憶はよく保たれているのですが、最近の記憶は断片的。それで、父の中で、昔この人と結婚したという記憶ははっきりとあるが、最近はこの人との関係が悪くなっていると感じているのではないか。母には思い当たることがありました。夫が物忘れしたり、失敗すると、つい叱責してしまうというのです。「また忘れたの?」「さっきも言ったでしょ!」「もっとしっかりしなさい」気がつけば叱ってばかりいる。それで父はこの人との関係が悪くなったと感じているのだろう・・・その時から母は父の認知症をはっきりと認めざるをえなくなりました。そして、「わたしがこの人の面倒を最後まで見る」、と心に決めたそうです。

 それから父と母の関係は変わりました。母は父を責めなくなりました。そして、父は母といるときは安心、というふうになったのです。いろいろな記憶があやしくても、妻がいてくれれば安心していられる。わたしではダメでした。わたしと二人でいると「C子はどこだ、C子はどうした」とだんだん落ち着かなくなるのです。そして母の顔が見えるとほっと安心する。そのころ、二人が手を取り合って歩いているところを見ると、本当に素敵な夫婦に見えました。
 夫婦って、結婚式の日に夫婦になるわけですが、実は長い年月かけて、本当の夫婦になって行くのではないか、とわたしは教えられました。いろんな苦しみや問題があって、それをなんとか二人で乗り越えて行く中で、夫婦の絆は本物になって行く。自分の両親の話で申し訳ないのですが、そんなことを感じさせられました。
 もちろん、それですべてうまく行っていたわけではありません。わたしの父は最後まで自分が壊れていくのを感じていて、必死でそれと戦っていました。だからこそ苦しみましたし、問題もたくさん起こしてしまいました。父は不安になると、家を出て行ってしまうので、母はゆっくり風呂に入ることもできませんでしたし、ゆっくり寝ることもできなくなりました。その頃、わたしは幸い東京の神学院で働いていて、周りの司祭の理解があり、週に一度、両親の家に泊まることができました。母はわたしが泊まりにくる日だけゆっくり風呂に入り、眠ることもできると言っていました。でも次第に父の精神状態はもっと不安定になって行き、もう母一人で看ることができなくなりました。最後は精神科の病院の閉鎖病棟で、風邪を引いて、あっという間に77歳で死にました。夫婦生活は45年間でした。
 夫婦って、長い年月をかけて本物の夫婦になっていくんだ。そのことをわたしは両親の姿から感じさせられました。

 今日の福音でイエスは「神が結びあわせたものを人は離してはならない」とおっしゃいます。それは、ただ離婚してはいけない、離婚しなければいい、っていうことではない。当時のユダヤ社会は男性優位の社会で、夫が気に入らなくなれば、妻を追い出せば良い、と考えられていました。妻とは夫の役に立って、夫が気に入れば家に置いておき、役に立たなかったり、気に入らなくなれば家から追い出せる。離縁状さえ書けば妻を追い出していい、そう考えられていたのです。イエスはその考えに断固として反対しました。夫とは、妻とは、神が与えてくれた生涯のパートナーだというのです。だから自分の勝手にできるものだと考えてはいけない。神から与えられた生涯のパートナーとして大切にしなければならない。
 現実には難しいこともたくさんあります。夫婦生活って、家庭生活って、困難の連続なのかもしれません。誰かが言った言葉ですが、「良い家庭とは問題のない家庭ではない。問題を一緒に受け止めて一緒に乗り越えて行くことのできる家庭だ」。それが難しいんだ、と言われるかもしれません。でも本当にそうでありたい。そういう家族になれますように。

 いや、わたしは一人だ。家族なんていない、という人もおられるでしょう。統計によれば今の日本で最も多い世帯構成は、一人世帯だとあります。だからここにいる方の中にも一人だけ世帯という方は少なくないかもしれません(わたしもそう)。でも今日の第一朗読のことばのとおり、「人が独りでいるのはよくない」のです。たとえ一人暮らしをしていても、人との豊かなつながりが必要です。わたしたち人間は皆、孤独のうちに生きるのではなく、支え合って生きるように造られているからです。だれもが、大切な人との、親しい人との豊かなつながりを見いだすことができますように。
 
 神さまはすべての夫婦に、子どもたちに、すべての家庭に、一人暮らしの人にも、今日、祝福と励ましを与えてくださいます。どうかすべての人が、すべての家庭が神の愛のうちに歩むことができますように。アーメン。


PageTop