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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第28主日



やっぱりアルメイダの話です。本当はもっと詳しくお話ししたかったのですが・・・

●年間第28主日
 聖書箇所:知恵7・7-11/ヘブライ4・12-13/マルコ10・17-30
           2018.10.14カトリック原町教会
 ホミリア
 先日、福岡と熊本で講演をしてきました。せっかく熊本まで行くことになったので1日時間をとって天草巡礼をさせていただくことにしました。崎津の集落が潜伏キリシタンの世界遺産の一つに含まれていたこともあって、観光客や巡礼の方も多くいました。崎津教会、大江教会、また、天草四郎や2008年に列福されたアダム荒川ゆかりの地を目指して来ていた人が多いようでしたが、わたしのお目当てはルイス・デ・アルメイダでした。天草の殉教公園というところに舟越保武のアルメイダ像があるということは前から知っていて、実物をぜひ見てみたいと思っていたのです。

 河浦(河内浦)というところにアルメイダ上陸記念碑がありました。天草地方に最初に宣教に行ったがアルメイダだったのです。そのときアルメイダはイエズス会のイルマン(修道士)でしたが、当時の日本のイエズス会の責任者コスメ・デ・トーレス神父は、宣教師を派遣する必要が生じるといつも真っ先にアルメイダを派遣しました。とても信頼が厚かったようです。そして本当によく働いた宣教師だったと言われます。天草ではアルメイダはキリスト教を伝えた人として知られています。彼は1580年、マカオで司祭に叙階されます。当時はまだ日本に司教がいませんでしたから、マカオの司教から司祭叙階を受けなければならなかったのですが、そう決めたのはアレッサンドロ・ヴァリニャーノでした。彼はイエズス会のインド管区の巡察師として日本の教会に派遣され、日本の教会の発展を見ましたが、あまりにも司祭が少ないので、日本人司祭を積極的に養成するように決め、同時にすぐにでも司祭になれる人を司祭にしようと考えて、アルメイダを司祭にすることにしました。司祭になったアルメイダは日本に戻って天草の教会の責任者となり、再び、天草・河内浦に帰って来て、1583年にその地で亡くなりました。秀吉のバテレン追放令が出る前の平和な時代でした。彼の最期は彼を慕う多くの貧しい人々に囲まれての死だったと伝えられています。今回、そのアルメイダ終焉の地と言われる浄土宗・信福寺というところにも行くことができて、感慨深いものがありました。
 そしてアルメイダの像です。天草・本渡の殉教公園・天草キリシタン館の隣にありました。屋外に設置されているので、予想通りくすんでしまっていました。でも隣の天草キリシタン館の中に、このレリーフの元になったデッサンが展示されていて、それははっきり見ることができました。包帯を巻いた女の子の頭に手を置いているアルメイダの姿。これが舟越保武の思い描いたアルメイダの姿です。

 ルイス・デ・アルメイダは1525年ごろ、ポルトガルのリスボンに生まれ、医学を学び、若くして医師の免許を取りましたが医師にはなりませんでした。当時の流行に乗って、貿易商になりました。15世紀末にアフリカの喜望峰をまわって、アジアに行く航路が発見されました。アルメイダも船に乗ってポルトガルを出て、インドのゴア、マラッカ海峡、マカオなどに行って巨額の富を築いたと言われています。
 その勢いで彼は日本にも来ました。そこで彼が見たのは間引きと言われる嬰児殺しでした。当時の日本では貧しい家で赤ん坊が生まれると、どうせ育てることができないなら、早いうちに死なせてしまったほうがいいと考えて、死なせてしまことがあったそうです。アルメイダはそれを見て、こんなことがあってはならないと思い、豊後府内に乳児院を作りました。家を借り、乳母を雇い、牛を飼いました。牛のミルクで赤ちゃんを育てようとしたのです。アルメイダの乳児院が成功したかどうかの記録は残っていません。しかし、当時の日本には乳牛というものはなく、獣の乳で人間の赤ちゃんを育てるということは考えられなかったので、日本人に受け入れられなかったのではないか、という人もいます。
 そのとき、アルメイダは26歳ぐらいでした。自分の人生について真剣に考えていました。そしてすべての財産を捨てて、イエズス会に入会を願います。フランシスコ・ザビエルが日本を去った直後の時代です。当時のイエズス会の責任者はコスメ・デ・トーレス神父でしたが、貿易商という世俗の仕事で金持ちになった青年の入会希望を簡単には受け入れませんでした。厳しい修練を経て入会を許されました。そしてトーレス神父はアルメイダに病院を作ることを命じました。これが「府内病院」と言われるものです。日本で最初に西洋医学に基づく診療を行った病院で、日本最初のホスピタルとも言われています。
 この病院の特徴は、診察・治療が無料だったので、貧しい人も治療を受けられたこと。そして最初から外科と内科の一般病棟とともにハンセン病の病棟があったことです。アルメイダは外科医として日本で知られていなかった手術を次々と行い、また海外からいろいろな薬を取り寄せることもできましたから、この病院は大成功しました。
 豊後府内では1年間で数千人の人が洗礼を受けたという記録があります。それは病気や怪我を治してもらったということにもよるでしょうか、本当にすべての人、貧しい人、子ども、ハンセン病の人を神の子と見て、大切にする福音の根本的なメッセージが伝わったからだと思います。その後、アルメイダは日本人の医師を養成し、日本人に病院をゆだねて、自分はもっぱら宣教活動に専念するようになります。そこでも大きな働きをしました。日本の教会の歴史のはじめに、「神のいつくしみの福音」を伝えたのがアルメイダという人でした。

 きょうの福音を読んで、どうしてもアルメイダの話をしたいと思いました。
 「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」
 キリスト教とはそのイエスの呼びかけに従った人々の歩みそのものです。理屈や理論じゃないのです。イエスの呼びかけに従い、イエスのあとを歩んで行く。もちろん、なかなかそうできない自分もいるわけですが、それでも、自分なりに精一杯イエスの呼びかけを聞き、イエスの呼びかけに応えて行く。そういうものでありたいと願いながら今日のミサをささげまたいと思います。



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