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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の公現



浪江町請戸漁港では今、急ピッチで漁港施設の整備が進んでいます。
これができれば、請戸で水揚げができるようになります。

今日のミサを終えて感じていること。
ここ浜通りで出会う多くの人は「三博士」のような人ではないか。
宗教は違うかもしれない。
でもイエスとその父である神を尊重してくださっているのだから❗️❗️❗️

●主の公現(祭)
 聖書箇所:イザヤ60・1-6/エフェソ3・2, 3b, 5-6/マタイ2・1-12
        2018.1.6カトリック原町教会
 ホミリア
 「アブラハムの子」という歌をご存じでしょうか。歌詞はこうなっています。
  「アブラハムには七人の子/一人はのっぽであとはちび
  みんな仲よく暮らしてる/さあおどりましょう 右手(右手)」
 神学生のころ、教会学校の子どもたちと一緒によく歌い、踊った曲です。でもいろいろ疑問も感じる歌でした。このアブラハムは聖書に出てくるアブラハムなのか?だとしたら子どもは七人ではないのではないか?なぜ一人がのっぽであとはちびなのか?本当に聖書から来た話なのか、聖書とは関係ないのか?当時よく分からずに踊っていました。
 カリタス南相馬では、さゆり幼稚園のスタッフ不足を補うため、見守り保育の補助のボランティアをしています。毎週月曜日にカリタスのスタッフが、ミュージックタイムというのをするようになりました。その中でこの曲もやっています。踊りもついているのですが、どうもわたしが昔習ったのと違う。それで、真面目に調べてみました。
 するとこの曲の原曲はアメリカの歌であることが分かりました。Father Abrahamという歌です。作詞者も作曲者も不明のようです。
  Father Abraham had many sons/Many sons had Father Abraham
  I am one of them and so are you/So let's just praise the Lord. Right arm!
 訳せばこうなります。「父祖アブラハムにはたくさんの子どもがいた。たくさんの子どもたちには(一人の同じ)父祖アブラハムがいた。わたしはその中の一人。君もそう。だから一緒に主をたたえよう」
ものすごい宗教的な歌ですね。日本語の歌詞は宗教的な部分を消してしまっている。

 アブラハムはイスラエルの民の父祖と呼ばれます。ユダヤ人にとって当然、父ですね。でもキリスト信者もアブラハムを父と呼んでいます。パウロはローマの信徒への手紙とガラテヤの信徒への手紙の中ではっきりとそう言っています。ガラテヤ3章にこうあります。
 『7だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。8聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。9それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。』
 『26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。27洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。29あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。』
 こうしてキリスト者はアブラハムを信仰の父と考えるようになりました。その意味でキリスト者もアブラハムの子なのです。
 イスラム教(ムスリム)では、アブラハム(イーブラヒーム)は唯一の神を信じた人としてとても尊敬されています。そしてアラブ人の先祖であるイシュマエル(イスマーイール)の父ということになります。ですから当然、自分たちはアブラハムの子であると信じているわけです。
 アメリカで子どもたちが集まる中には、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教、ムスリムなどいろいろな子がいることが少なくないのでしょう。でも、みんなアブラハムの子という点で共通するものを持っている。だからみんな一緒に神を賛美しよう、そういう歌ですね。この広さがこの歌の特徴です。この広さはどこから来ているかというと「共通の父祖」という考えです。お互いに相手を見ていたら、違いばかりが見える。ユダヤ教とキリスト教はここが違う。ムスリムとキリスト教はここが違う。違いはいくらでも見つけられます。でも同じ父祖アブラハムの子、そこに立てば違いは乗り越えられるはず。

 ではもし、その中にキリスト教でもユダヤ教でもムスリムでもない中国人や日本人がいたらどうでしょうか。この歌の広い心を考えたら、あなたたちは一神教じゃないからダメ、とは言わないはずですよね。どこに共通のものがあるでしょうか。それは父である神です。すべての人は神の子、どの宗教、どの人種であろうと神の子ども。そこに立てば、宗教の違いも、国籍や民族の違いも乗り越えられるはず。
 創世記12章には、神がアブラハムに向かって言う言葉があります。
 「2わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。3あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
 神は祝福を全人類に与えたい。そのためにまずアブラハムを選び、アブラハムを祝福したのです。アブラハムへの祝福は、全人類への祝福のための布石なのです。どの民族、どの宗教であってもすべての人は皆、神によって祝福されるはずの人。すべての人はアブラハムへの祝福にあずかるべき人なのです。その広さを本当に大切にしたい。
 ちなみに「アブラハムの子」の日本語版ですが、「キリスト教もユダヤ教もムスリムもみんなアブラハムの子」と言っても、日本では何の広さも感じられません。だから日本語版が直訳しなかったのは正解だったのでしょう。

 さて、今日の福音に登場する「占星術の学者」はギリシア語では「マゴイ」(複数形)、と言い、この言葉は英語の「マジック」の語源です。もともとはペルシャの祭司階級を指す名前でしたが、新約聖書の時代にはもっと広く、イスラエルから見て東方の世界の学者・賢者を表すような言葉になりました。ぜんぜん宗教が違う人ですね。でも彼らは星の導きで幼子イエスを拝みに来ました。彼らにとってその幼子は「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」でした。でも単なる外国の王子が生まれたのではなく、すべての人にとって特別な方、神から遣わされる救い主が生まれた、と信じたからこそ、やってきたのです。

 主の公現の祝日は、広く大きな神の救いのビジョンをいただく日です。その中で、本当にわたしたち人間が互いの違いを乗り越えて、みな同じ神の子として、兄弟姉妹として生きることができますように、心から和解と平和を祈りましょう。


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