FC2ブログ

毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第4主日



2月2日(土)、福島市の御倉邸で、松木町教会・愛の支援グループSさんご夫妻のお招きによる献茶式と初釜茶会がありました。お茶を聖母子にささげるお点前はまるでミサのような厳かさ!

●年間第4主日
 聖書箇所:エレミヤ1・4-5, 17-19/一コリント12・31~13・13/ルカ4・21-30
          2019.2.3カトリック原町教会
 ホミリア
 第一朗読のエレミヤという預言者は、ユダ王国の末期、紀元前7世紀の終わりから6世紀のはじめにかけて活動した預言者です。彼の使命はユダの罪を指摘し、民に回心を求めることでした。そしてエレミヤはエルサレムの滅亡を預言しました。でもそれは人々の期待に反するものでした。人々は「大丈夫、大丈夫、自分たちは神の民なのだから、神はなんとかしてくれるはず」そういう耳障りのいい預言を語る預言者を歓迎したのです。そのため、エレミヤは迫害され、大きな苦しみを受けることになりました。
 人の思いを超え、神の思いを伝えるのが預言者の使命。耳障りのいい予言をするのは偽物の預言者です。
 イエスもそういう意味で真正の預言者の系譜の中にいました。ナザレの人々は、自分たちの村出身のイエスに対して、自分たちに利益をもたらしてくれることを期待しました。その期待をイエスは見事に裏切りました。今日の箇所で「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と言います。自分たちの地域に利益をもたらしてくれる、そんなことを超えて語り、行動するのが預言者だからです。人の思いを超えた、神の思いを伝えるのが、預言者の使命なのです。

 エレミヤは神の厳しいことばを伝えました。異邦人だから、ユダヤ人だからと言ってそこに差別はありません。イエスは神の恵みの言葉を告げました。それは相手がナザレの人であろうと他の町の人であろうと同じなのです。本当に人を救うために、人がよく生きることができるために、ある時は厳しく、ある時はやさしく。でも人を分け隔てしない、というのが預言者の特徴でしたし、それが聖書の神の特徴でもあります。
 聖書の伝える神の特徴とは、「特定の人をえこひいきしない」ということだと言ってもいいのではないか。
 これだけお祈りしているんだから、自分をえこひいきしてくれてもいいんじゃないか。
 これだけ献金しているんだから、少しはわたしをえこひいきしてくれてもいいんじゃないか。人間はどうしてもそう考えるのですね。
 それは神様には通用しない。神はすべての人の親として、すべての人を限りなくいつくしんでくださる。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)これがイエスの教えた神様の根本的な姿でした。

 親が子どもたちの中の誰かをえこひいきしたら問題。先生が生徒の中の誰かをえこひいきしたら問題です。親の愛はすべての子どもに同じように向けられている。先生の愛はすべての生徒に同じように向けられるべき。これは当然のことでしょう。
 その一方で、親には自分の子どもを守る義務があり、先生には自分の生徒を守る義務がある。そういう面では、自分の子どもや自分の生徒を他の子どもよりもえこひいきするのは当然だとも言えるでしょう。
 そして神はすべての人の親ですから、決してだれかをえこひいきすることはないのです。
 もう一つの面もあります。すべての人を愛するから、だから最も弱い人、貧しい人を特別に大切にする。これも神の愛の特徴です。親や先生も、問題のある子どもにこそ特別に目を注ぐ、ということがあります。それは決してえこひいきではありません。いや、人間的な目にはえこひいきに見えることがありますが、本当にすべての人を救おうとするから、何よりも弱い人に目を注ぐ。これもイエスの教えた神の愛の特徴です。

 第二朗読はコリントの教会への手紙。コリントという町は、古代、商業都市として栄えたギリシアの町で、いろいろな民族、いろいろな宗教が混じり合った町でした。そこにキリストの福音を伝え、教会を建てたのは、使徒パウロでした。パウロはそこに2年ほどいて、教会を指導しましたが、パウロがコリントを去ってから、コリントの教会にはいろいろな問題が起こったようです。そのことを伝え聞いて、それに答え、いろいろな指示を与えたのが、このコリントへの第一の手紙と言われる手紙です。
 12〜14章で問題になっているのは、カリスマ(霊的な賜物)のことでした。聖霊が一人一人のうちに働いて、ある人には不思議な言葉を語る賜物が与えられ、ある人には病気をいやす賜物、ある人には奉仕する賜物、ある人には教える賜物が与えられる。パウロはそれらを否定しません。でもそれぞれの人が自分のカリスマこそが一番優れている、と言って、分裂が起こるなら、それは違う。さまざまなカリスマがあるのは、全体の益となるためであって、一つのキリストの体を作り上げる、同じ聖霊の働きなのだということをパウロは強調するのです。そして「わたしはあなたがたに最高の道を示します」と言って、この13章で「愛」について語ります。この愛について、パウロはこう言っています。
 「4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
 自分の好みで愛するのでもない。相手が何をしてくれたから愛するというのでもない。これこそ「えこひいきしない愛」って言ってもいいんじゃないでしょうか。こんな愛はあると思いますか?人間の愛じゃない。神の愛です。イエスの愛です。パウロはこのキリストの愛を知っているから、こう言うのです。
 わたしたちは今日、本当にすべての人に注がれる神の愛(誰もえこひいきしない愛)を知り、それに応えて、本当にすべての人を大切にし、だからこそ、目の前の人、家族や出会った人、一人一人を心から大切にする愛を生きたい。


PageTop