毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

吉祥寺教会堅信式

petro kibe

この写真は6月の大分教区浜口末雄司教様の叙階式に行ったときのミニ巡礼で撮ったものです。
国東半島のペトロ岐部記念公園です。有名な船越保武の彫刻の実物がありました。
海のかなたを見ていますね。

さて、6月10日の吉祥寺教会での堅信式の説教を載せておきます。

●年間第15主日(マタイ13・1-23)

 種まきのたとえ話ですが、この「種」とは何でしょうか。今日の福音を最後まで読めばちゃんと答が書いてあります。この種は「神のみことば」「み国の言葉」ということになります。しかし、わたしは先週、このたとえを読みなおしながら、それだけじゃないかもしれないと思いました。神が人々の中に蒔き続けるもの、イエスが人々に与え続けたもの、それはみ言葉でもありますが、「愛」だと言ってもいいのではないでしょうか。
 どんなにみ国の言葉を語っても受け入れない人がいるように、どんなに愛を蒔いても、相手がそれにきちんと答えてくれるとはかぎりません。愛が道端に落ちて、鳥に食べられてしまうようなこともあります。愛を注いでも、そこは石だらけで、根を張ることができず、乾いて枯れてしまうということもあるでしょう。茨の間にまかれた愛は、茨におおわれて成長しないかもしれません。イエスが地上で働いていたときもそういうことがたくさんありました。どんなにイエスが愛の種を蒔いても、実際には多くの拒絶に会い、最終的にイエスは十字架にまで追い詰められていきました。
 しかし、それでもイエスは愛の種を蒔き続けました。最後の最後まで。そして、そのイエスの蒔いた愛の種は、イエスの死を越えて、復活と聖霊降臨をとおして大きな実りになっていきました。30倍、60倍、100倍の実を結んでいくことになったのです。

 みことばが豊かに実を結ぶと言うイメージも大切ですが、愛が豊かに実を結ぶというイメージを思い浮かべて見ていただきたいと思いました。それはこれから堅信式があるからです。
 堅信式は、聖霊降臨の出来事にあずかる秘跡です。使徒たちが聖霊を受けて、福音宣教の使命を果たすことになったように、今日、堅信の秘跡を受ける人は、同じ教会の使命にあずかる人になります。
 教会の使命は、一言で言えば、神の愛をあかしすることです。言葉をとおしてあかしすることもあります。秘跡をとおしてあかしすることもあります。そして、何よりも大切なのは、わたしたちがわたしたちなりに精一杯愛することをとおして、神の愛をあかしするということが大切です。これがわたしたちの使命です。
 そのために、イエスがまいた愛の種をまず自分がしっかりと受け取って、自分の中でその種を育ててください。どんな困難の中でもイエスはともにいてくださいます。わたしたちの重荷をともに担ってくださいます。そしてイエスはわたしたちの兄弟として、わたしたちを父である神のもとに導いてくださいます。そのイエスの愛をしっかりと受け取ってください。

 そして、わたしたちも精一杯、人を愛することができるようになりたいのです。愛するという言葉を、キリシタン時代の人が「ごたいせつ」と訳したように、愛するとは人を大切にすることです。それはわたしたちがどんな状況に置かれていてもできることです。そのためにわたしたちは神の愛の力である聖霊をいただくのです。
 人を大切にするということ。それは小さいことかも知れません。
 病気の人をお見舞いして、そばにいてあげることかもしれない。
 誰か、淋しい思いをしている人に声をかけることかもしれない。
 仲間はずれにされている人と一緒にいてあげることかもしれない。
 つらい思いをしている人の話を、ただじっと聞いてあげることかもしれない。
 ただ、その人のために祈ることしかできないということもあるでしょうか。

 堅信を受ける皆さん、小さな愛の種を蒔く人になってください。無駄に思える種もあるかもしれません。こちらがあいさつしても、あいさつを返してくれないという場合や、せっかくの好意を拒否されたり、誤解されたり、いろいろあります。でもわたしたちは愛の種を蒔き続けたいのです。イエスがそうなさったように。信頼をもって、あきらめずに、愛の種を蒔き続ければ、信じられないような仕方で、神様が豊かな実りをもたらしてくださる。
 そう信じて、イエスの弟子として、イエスとともに歩み続けることができますように、祈りながら、堅信式を行いましょう。

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