FC2ブログ

毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖木曜日・主の晩さんの夕べのミサ



いよいよ、聖なる過越の三日間。
写真はミサで使った洗足式セットですが、実はこの水差しは借り物です。来年までにどこかでゲットしないと…!

●主の晩さんの夕べのミサ
 聖書箇所:出エジプト12・1-8, 11-14/一コリント11・23-26/ヨハネ13・1-15
       2019.4.18カトリック原町教会
 ホミリア
 パリにあるノートルダム大聖堂で、今週の月曜日、15日に大きな火災があり、屋根と塔大きく壊れてしまいました。聖週間に入ったばかりの出来事で、多くの人がショックを受けているようです。世界でも最も立派な大聖堂の一つですし、日本からも多く人が訪れた場所ですから、いろいろな声が聞こえています。
 ちょっと調べてみました。ノートルダム大聖堂は、パリ大司教区の司教座聖堂であり、12世紀から13世紀にかけて建設されたゴシック様式の巨大な聖堂です。塔の高さは69m、聖堂内には9,000人を収容することができるそうです。世界遺産にもなっていますし、再建が大きな課題になるでしょう。

 そんな中で、今日、わたしたちは主の晩さんの夕べのミサを祝います。イエスの最後の晩さんを特に思い起こしながら祝うのが今日のミサです。最後の晩さんという出来事はわたしたちの教会の一つの原点とも言える出来事です。その出来事はキリスト教とはどういう宗教であるかをよく表しています。
 神を礼拝するために、イエス・キリストを記念し、キリストと一つに結ばれるために、わたしたちに必要なものは、聖書とパンとぶどう酒だけなのです。最初はそれだけでした。後の時代になって立派な聖具や祭服、そして大きな聖堂が作られるようになりましたが、どんな大きな聖堂でも、そこで行われるもっとも大切なことは、聖書を読み、パンとぶどう酒を用いてイエス・キリストの生涯を記念するこの「ミサ」なのです。

 イエスは逮捕される前の晩に弟子たちとともに食事をしました。イエスはこの食事が弟子たちとともにする最後の食事だと自覚していました。そしてその食事の中で特別なことを二つなさいました。
 一つはパンとぶどう酒について、特別な言葉をおっしゃったことです。パンについては「これはわたしの体である」とおっしゃり、ぶどう酒については「これはわたしの血である」とおっしゃいました。イエスが目に見える形ではもういなくなる。でもその後もずっと目に見えない形で弟子たちとともにいる。その弟子たちとのつながりを永遠のものにしようとして、「これをわたしの記念として行いなさい」とおっしゃったのです。体は「渡される体」、血は「流される血」です。すべての人の救いのためにご自分のすべてを与え尽くされたイエスを思い起こし、そのイエスに結ばれ、イエスの愛を生きること。それがミサを祝うことことの意味であり、聖体のイエスをいただくことの意味です。

 もう一つは、ヨハネによる福音で先ほど読まれたように、弟子の足を洗ったということ。そこにはイエスは徹底的に仕える者となり、しもべとなられたという、イエスの生涯の意味、十字架の死の意味がはっきりと表されていますが、その後、こうおっしゃいました。
 「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
 この言葉は、少し後に出てくる有名な言葉と似ています。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13・34、15・12)
 その愛の掟を弟子たちが心に刻むために、イエスは弟子たちの足を洗われたのです。

 今日のミサで、これから洗足式を行います。司祭が誰かの足を洗うのですが、洗うより、洗われるほうがたいへんな犠牲かもしれませんね。イエスに足を洗われた弟子たちの思いを、足を洗ってもらった弟子たちの足の感覚を想像してみてください。本当にとんでもないことですが、イエスに足を洗われた、それが弟子たちの生き方に結びつくようにイエスは願いながらそうしたのです。
 今日のミサで、わたしたちは主の食卓を囲みます。この聖堂のちょっと残念なこところは祭壇が奥まっていて遠い感じがすることです。ノートルダム大聖堂なんかより比べ物にならないくらい小さい聖堂にしては、ちょっと遠い感じですね。まあ70年前(第二バチカン公会議前)に建てられた聖堂だから仕方ないとは思いますが、本当に最後の晩さんの食卓に招かれているんだ、ということを感じていただくために、今日は皆で一つの食卓を囲んで感謝の典礼を行います。また、パンのかたちの聖体だけでなく、ぶどう酒のかたちでもイエスをいただきます。
 あの2000年前の最後の晩さんの席で、イエスから直接、パンとぶどう酒の杯を渡された弟子たちの感じたことを想像してみてください。

 イエスがわたしたちに対して示されたはかりしれない愛を今日、深く味わうことができますように。そしてそのイエスの思いを受け取り、イエスに思いに応えて、日々、新たに生きていくことができますように。




PageTop