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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活の主日・復活徹夜祭



今年もこの小さな教会で洗礼式を行うことができました。
Mさん、おめでとうございます。
神に感謝!

●復活の主日・復活の聖なる徹夜祭
 聖書箇所:出エジプト14・15~15・1a他/ローマ6・3-11/ルカ24・1-12
     2019.4.20 カトリック原町教会
 ホミリア
 主の復活おめでとうございます。
 イエスが亡くなったのは今で言えば金曜日の午後3時ごろのこと。昔のユダヤでは日没から新しい1日が始まりましたから、その金曜日の日没からが二日目、そして土曜日の日没からが三日目ということになります。この三日目の朝早く、女性の弟子たちがイエスの墓に行くと、墓には遺体がなく、天使が現れて「イエスは復活した」と告げた、福音書はそう伝えています。そこでイエスは土曜日から日曜日にかけての夜のうちに復活したと考えられるようになり、復活の祝いはこの夜中に行われるようになりました。

 教会は古代からこの復活徹夜祭に洗礼式を行ってきました。洗礼(バプティスマ)の元々のやり方は、人の全身を水の中に沈めるというものでした。「洗礼を受ける」と訳された言葉「バプティゾー」の元の意味は「沈める」です。使徒書の朗読(ローマの教会への手紙6章)でパウロが語った言葉をそのように訳せば、「キリスト・イエスのうちに沈められたわたしたちは皆、その死の中に沈められた」となります。だからパウロは続けて言います。「わたしたちはバプティスマ(洗礼)によって、キリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」。洗礼とはキリストと共に古い自分に死んで、キリストと共に新しいいのちに生きること、そのために、復活祭に洗礼式が行われるようになりました。でも、それだけが理由でもないと思います。イエスが復活して今も生きているとはどういうことか。イエスの時代から2000年もたった今日、キリストの弟子として歩み始めようとする人がいる。それはイエス・キリストが2000年前の、過去の歴史上の人物ではなく、今も生きておられる方だということをはっきりと表わす出来事だと言えるからです。

 今日、この教会では、Mさんが洗礼・堅信・聖体という入信の秘跡を受けます。洗礼の水を注がれ、新しい人となり、聖霊をいただいて教会の使命(神の愛のしるしとなるという教会の使命)に参加し、パンとぶどう酒のしるしをとおしてイエスと一つに結ばれます。洗礼と堅信は一生に一度だけのことですが、聖体の秘跡はこれからずっと受け続けることになります。わたしたちがキリスト者として歩むための、最も確かな力の源が聖体の秘跡であり、ミサです。ミサの中にわたしたちがキリスト者、イエスの弟子として歩むための、すべてのことが含まれていると言ってもよい。

 まず、ミサは祈りです。いただいた恵みについて神に感謝し、神を賛美し、わたしたちの願いをささげます。これはとても大切なことです。祈りの中で、わたしたちは神とのつながりを確認するのです。もし祈らなければ、人生とはいいことがあったり、悪いことがあったりするだけ。ただラッキーかアンラッキーか、それだけのものになってしまいます。でも祈るとき、良いことも悪いことも、すべては神とのつながりの中で意味があることと受け取るようになります。そういう意味で祈らないキリスト者というのはありえません。ミサは祈りの頂点だと言われます。頂点も大切ですが、頂点は頂点だけでは成り立ちません。頂点があるためには裾野も必要です。裾野は日々の祈り。朝晩の祈りや食前の祈り。家庭の中で大切しにしていってください。

 次にミサは聖書のことばが語られる場です。ミサの前半は聖書朗読が中心ですが、そこで聖書が読まれるとき、神は今も人々に語りかけている。イエスは今も福音を告げ知らせている。そういう神のことばと出会う場がミサです。ミサの後半も聖書のことばに基づいています。「これはわたしのからだである」「これはわたしの血である」そのイエスの言葉を聞き、それを信じるからこそ、わたしたちは聖体においてイエスと一つに結ばれるのです。聖書のことばによって養われる。そのこともミサが頂点だと言えますが、同時に日々の生活の中でも聖書を読むことを大切にしてください。
 今日の福音は印象的です。女性の弟子たちに現れた天使はこう言いました。
 「『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。』そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。」
 わたしたちはイエスが語られた言葉を思い出すために聖書を読みます。何度も何度も読むのはそのためです。そして、あのイエスの言葉が今もわたしたちの日々の生活・現実の中に生きているということを発見するのです。それは大きな力になります。

 もう一つ大切なこと、それはミサが共同体の祝いだということです。共に祈り、共に一つの食卓を囲み、共に一つのパンを分かち合う。これがミサです。わたしたちはたった一人で信仰の道を歩むのではありません。信仰生活を続けていくために、一緒に歩んでくれる仲間が必要です。Mさんは奥様がフィリピンから来たカトリック信者ですからその点で恵まれていますね。これまでもずっと奥様と一緒にミサに来られていました。その中で、こうしてミサに集まる教会の共同体を感じてくださっていると思います。誰かと一緒に、「やっぱり神様はいるよね。イエス様は今も生きていて共にいてくださるよね」そう言い合える人がいてくれるのは本当に大きな支えです。奥様ももちろんですが、この信仰の仲間を普段から大切にしてください。
 それでは、洗礼と堅信の部に移ります。

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