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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活節第5主日



久しぶりに「メヒカリ唐揚げ」を作って、お昼にいた皆さんに食べてもらいました!
チャーハンはNさん作で、とてもおいしかったです。

●復活節第5主日
 聖書箇所:使徒言行録14・21b-27/黙示録21・1-5a/ヨハネ13・31-33a, 34-35
      2019.5.19カトリック原町教会
 ホミリア
 昨日、この教会のKさんが亡くなられて、わたしの父の晩年のことを思い出しました。
 わたしの父は生きていれば今年100歳ですが、22年前、77歳で亡くなりました。晩年は認知症になって、母が一人で介護していたのでたいへんでした。わたしもその頃、週に一度は両親のところに行くことにしていました。ある夕食の後、父は食卓に座ったまま、ちょっと厳しい顔をしていました。父なりに苦しんでいて、精神的に不安定なことが多かったのです。父の前の食器を片付け、ふと思いついて、父に台ふきんを渡して、「拭いてくれる?」とお願いしたら、机を拭いてくれました。そして、だんだん嬉しそうな顔に変わっていったのです。何もかもしてあげるればいいのではなく、父にもまだできることがある、それをもっともっと認めなければと感じました。

 先日亡くなったジャン・バニエが、1987年、初めて日本で行なったリトリート(修養会)の講話録が出版されていますが、そこにこういう話があります。ジャン・バニエはヨハネ福音書4章にあるサマリアの女性とイエスとの出会いの場面についてこう語りました。
 「イエスは彼女に目を留め、『水を飲ませてください』と語りかけました。つまり、『あなたにお願いがあります』と伝えたのです。これは、『私のために何かしてほしい(あなたが必要だ)』とこちらから願って近づいていった本当に素晴らしい出会いです。(中略)本当に人を愛するとは、何かをしてあげることではありません。何かをしてあげて、人を傷つけ、潰してしまうことは実に簡単です。一生懸命にお世話をしながら、『あなたは自分では何もできないでしょう』と、その人の無力さを見せつけてしまうこともあるからです。人を愛するとは、その人自身の美しさを自分で発見させ、見せてあげることだと思います。その人の存在する場所を作ってあげることです。あなたは大切な人であり、あなたには価値があると、その人自身に示してあげることです。」(『心貧しき者の幸い』あめんどう刊)

 今日の福音は最後の晩さんの席でのイエスの有名な言葉です。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
 ここでイエスは「新しい掟」と言います。隣人愛の掟は旧約聖書にもありました。何が新しいのでしょうか。一つには「わたしがあなたがたを愛したように」という部分でしょう。イエスが十字架の死に至るまで、いのちがけで人々を愛し抜いた。2000年前の人々を愛したその愛で今もわたしたちを愛してくださる。そのイエスの愛を知った者として、わたしたちは愛を生きたいのです。イエスの愛に応えて生きたい。もうそれは掟とか命令というようなものではなく、イエスの弟子にとって、人生最大のテーマです。

 もう一つの新しさは「互いに」というところでしょう。ここではわたしが一方的に人を愛する(愛すればいい)というのとは違う世界が示されているのです。本当にお互いにお互いを尊重し合い、大切にし合う。そのことをイエスは求めています。簡単じゃないです。「互いに愛し合う」ということは一人じゃできない。わたしはこんなに愛しているのに、ぜんぜん分かってくれない。自分は本当にその人を大切にしているつもりでも、相手はそれに応えてくれない。そういういうことは現実にいっぱいあるわけです。
 そんなとき、あのジャン・バニエの言葉がヒントになるのではないでしょうか。
 「人を愛するとは、その人自身の美しさを自分で発見させ、見せてあげることだ」
 これはとても大切なことだと思います。
 
 「障害者」という名前の人はいません。「認知症」という名前の人もいません。「病人」とか「被災者」という名の人もいません。でもそうやってレッテルを貼って、あなたは何もできないから、わたしが何かしてあげましょう。そうやって相手の尊厳・自尊心を傷つけてしまう危険はたくさんあります。
 いや、それでも、してあげることも大切です。昨日今日、ボランティアの「どこでも足湯隊」という人たちがカリタス南相馬に泊まっています。東京から一泊二日でやってきて、何箇所かの復興住宅で足湯をしています。足をお湯に浸してもらって、手を取り揉みほぐしながら、相手の話を聞く、というボランティアなのですが、震災から8年たって、仮設住宅もほとんどなくなり、ボランティアの人数も減り、もうやめようか、という話も出ていました。でも復興住宅に住んでいて、孤独で、ボランティアが来るを待っている人がやはりいる。だからこれからも続けていこう、って昨日おっしゃっていました。それはほんとうに大切なことだと思います。そして、その関わりの中で、ボランティアのほうが、実は相手からたくさんのものを受け取っているのです。人と人とが関わるのであれば、一方通行で、どちらかがどちらかにしてあげる、というだけのはずはありません。

 人と人との関わりの中で、どんな人の中にも、本当に素晴らしい力がある、美しい心がある、愛する心がある、に違いないのです。それを信じて、一緒に見つけて、確認し合っていくようなかかわり。それを大切にしたいと思います。もちろん、家庭の中でも、教会の中でもそうです。
 今日、「互いに愛し合いなさい」というイエスの掟、新しい掟をいただいたわたしたちが、愛し・愛される世界、互いが互いを大切にし合う世界、神の国の福音の世界に少しでも近づいていくことができますように、心から祈りましょう。

 

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