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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の昇天



カリタス農園で採れたイチゴです。
粒は大小不揃い、甘さもそれぞれに違いますが、それぞれにおいしい!
久しぶりに「ほんもののイチゴ」っていう感じ。

●主の昇天(祭)
 聖書箇所:使徒言行録1・1-11/ヘブライ9・24-28, 10・19-23 /ルカ24・46-53
     2019.6.2カトリック原町教会
 ホミリア
 「主の昇天」を祝う中で二つの点が大切です。
 一つはイエスの復活ということが、単に地上のいのちに舞い戻ってきたというようなことではなく、イエスが天の父である神のもとに行き、神のいのちに完全にあずかり、神とともに永遠に生きる方となった、という点です。そしてこれは今日の集会祈願にあるように、「わたしたちの未来の姿」でもある。わたしたちも完全にイエスの復活のいのちにあずかり、神のもとで永遠のいのちをいただく、その希望を持つという点、これが大切。
 第二朗読のヘブライ書もそういう意味で選ばれている箇所です。イエスは「天そのもの」に入っていかれた。そこで神との完全な一致へと至る、「新しい生きた道」をわたしたちのために開いてくださった。わたしたちもこの道をとおって、神に近づいていくのだ、というのです。

 もう一つの大切な点は、地上に残されたわたしたちに新しい使命が与えられるという点です。その使命について、第一朗読では「わたしの証人(=イエスの証人)となる」と言われていました。福音では「あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われています。「これらのこと」とは何か。「こう書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』」。「こう書いてある」というのはそれが神の救いの計画だという意味です。わたしたちの使命は、イエスの死と復活の証人となることであり、また、「罪のゆるしと回心」という救いのわざが、復活したイエスの働きとして、全世界に広がっていくという神の救いの計画の証人にもなるというのです。

 「罪のゆるしと回心」と言いましたが、先ほど読んだ福音書では「罪のゆるしを得させる悔い改めが宣べ伝えられる」と訳されていました。
 この罪のゆるしと回心の福音を受け取るために、放蕩息子のたとえ話を思い出したいと思います。弟息子の根本的な問題は、父親との縁を断ち切ったことでした。「お父さん、わたしがもらうことになっている財産をください」。それは本当は父が死んだらもらうはずの財産です。それを今すぐにくれというのですから、彼は心の中で父親を殺してしまっているようなものです。そしてその金を持って、家を出ていく。父のもとを離れます。そしてどん底まで落ちていくわけです。その時、彼は我に帰って、「ここをたち、父のところに行こう」と思うようになります。これが「悔い改め=回心」の根本的なイメージです。頭を上げて、もう一度、父のほうに向かっていく。すると父は「息子を見つけて、はらわたを揺さぶられ、走り寄って」我が子として迎え入れてくださる。父のほうは息子の帰りをずっと待ち続けていたのです。これが「ゆるし」です。過去の罪をなかったことにする、というようなレベルの話ではなく、もう一度、父の子として受け入れられる、親と子としての関係が取り戻される。これがゆるしの福音です。
 神と人間の間にこの放蕩息子のたとえと同じことが起こる。神は人間がご自分のもとに帰ってくるのをずっと待ち続けていて、帰ってきたら、喜んで子として迎え入れてくださる。これが罪のゆるしの福音なのです。
 放蕩息子のたとえには、もう一つの大切なテーマがあります。それは兄と弟の関係です。父親は帰ってきた弟息子を受け入れますが、兄は受け入れません。それで父親がなんとか兄をなだめて、弟を受け入れさせようとします。これも大切なテーマです。関係破壊も、関係回復も、父と子、神と人との間だけの問題ではありません。兄弟姉妹同士、人と人との問題でもあります。
 
 人と人との関係の問題、それはわたしたちの周りの現実そのもの。
 先週、川崎で痛ましい殺傷事件がありました。あんなふうに人が人を傷つけ、殺してしまう。そんなことがあってはならない。あまりにもひどいし、悲しいことです。犯人の心の闇と孤立も深く、おそろしいと感じます。世界中でテロが絶えません。イスラム過激派だけでなく、ニュージーランドのテロのように、イスラム系移民に対する差別・排斥感情に基づくテロもあります。アメリカ、中国、ロジア、イギリス、日本、どの国も自分の国の利益ばかりを追い求める傾向が強くなっているように感じられます。他の国に対する不信感をつのらせ、攻撃されるのではないか、とおそれ、防衛力をどんどん増強していくというのが、この国の現実でもあります。
 
 本当に人と人との間の関係が傷つき、壊され、それが連鎖的にどんどん悪いほうへ進んでいってしまっているように感じられることがあります。
 その中でわたしたちはイエスの証人となるよう、招かれています。
 イエスが憎しみと暴力の中で、最後まで愛を貫いて、いのちをささげてくださったこと、そのイエスを神は完全に受け入れ、ご自分のもとに引き上げ、永遠に生きる方としてくださったこと、そして、イエスとともに歩もうとする者に、本当の意味で神の子として生きる道、すべての人と兄弟姉妹として生きる道を示し、支え、導いてくださっていること。わたしたちはそのことの証人として生きるよう、招かれています。

 「悔い改め・回心」はギリシア語で「メタノイア」。元々の意味は「心を変えること」です。「もうダメ。人間も世界もどうしようもなく救いがない。」そのあきらめや絶望から、「いや、それでも神と人とが親と子としての関係を取り戻し、人と人とが兄弟姉妹としての関係を取り戻すこと」それこそが神のみ旨であり、それは必ず実現する、そう信じて歩むこと。そう考えれば、メタノイア(心を変える)とは「希望を取り戻すこと」だとも言えます。
 わたしたちが、どんな現実の中にあっても、神と人・人と人とが本来の良い関係を取り戻すことができるのだ、という希望の証人として生きることができますように。約束された聖霊を待ち望みながら祈りましょう。


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