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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第14主日



西日本の豪雨災害から1年。
犠牲者を追悼し、被災者を思い、7月7日午後7時半に各地で線香花火をしようという呼びかけがありました。
あいにくの雨でしたが、カリタス南相馬でもこの呼びかけに応えて、線香花火をしました。

●年間第14主日
 聖書箇所:イザヤ66・10-14c/ガラテヤ6・14-18/ルカ10・1-12, 17-20
       2019.7.7カトリック原町教会
 ホミリア
 今日の第一朗読はイザヤ書の最後の章66章でしたが、その中にこういう言葉がありました。「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める。」(13節)
 イザヤ書の49章15節にはこういう言葉もあります。
 「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」
 聖書に描かれる神様は、男性的なイメージが強いのですが、このような箇所では女性的なイメージが表れています。母が子どもを慰めるように、神がわたしたちを慰めてくださる。この「慰める」というのはどういうことでしょうか。わかりやすく言えば、「よしよし」という感じではないかと思いました。「よしよし」というのは、目上の人に向かっては言う言葉ではありません。対等な人か目下の人に向かって言う言葉です。相手の言うことに賛成して、受け入れるときにも「よしよし」と言いますが、親は赤ちゃんが泣いているときに「よしよし」と言います。それは何か具体的なことで良いとか悪いとかいうのではないでしょう。とにかく、「大丈夫だよ、泣かなくていいよ」という意味の言葉。わたしたちは赤ちゃんのときから何万回もこの「よしよし」を聞いてきたのだと思います。
 今日の第一朗読はイザヤ書の最後の章。最終的な大きな救いを約束する中で、神が「よしよし」と言ってくださる。それはなんとありがたいことでしょうか。

 創世記の第1章を思い出します。六日間で神がすべてのものをお造りになったという創造の物語です。神は何もない世界に、最初に光をお造りになりましたが、そこで「神は光を見て、良しとされた」とあります。そして六日間かけて、この世界のすべてのものを造り、そのたびに「神はこれを見て、良しとされた」とあり、最後に人間を作ったときにはこう言われます。
 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」
 人間は最初から、神の「よしよし」に包まれているのです。
 人間を超えた大きな力がわたしたちを包み、生かし、守ってくださるのです。
 その神のいつくしみに信頼していいのだ、とイエスは教えました。「空の鳥を見なさい、野の花を見なさい」とはそういうことです。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(マタイ6・26, 28, 29)この神に信頼しなさい。

ルカ福音書の今日の箇所では、イエスのエルサレムへの旅が始まっています。この旅はイエスの生涯最後の旅でした。十字架に向かう旅ですが、同時に天に向かう旅でもあります。この旅は、最後の最後まで、イエスが天の父である神のいつくしみを告げる旅でした。
 それに先立って、72人の弟子たちを遣わすのですが、弟子たちはまず「この家に平和があるように」と言うように命じられています。本当に神からの平和に満たされますように、と祈るのです。これも「よしよし」という感じでしょうか。

 今日の福音でまた弟子たちは、「神の国はあなたがたに近づいた」というメッセージを託されます。「国」と言いますが、今のわたしたちが国というときの意味とはちょっと違う。国(バシレイア)は王(バシレウス)という言葉から来ています。「王であること、王として支配していること、王として支配している国」そういう意味です。「王になること」と言ってもいいと思います。「神の国」というのは神が王となってくださるということ。これまであなたがたはいろいろなものに支配され、苦しめられてきた。人間の悪い王や外国の王たちにさんざん振り回されてきた。でももう違う。神が王となってくださる。だから安心しなさい。神はあなたがたをいつくしみ、神があなたがたの王となり、あなたがたを守ってくださる。それが神の国のメッセージでした。
 イエスは神を「王」というよりも、「お父さん、パパ」として示してくださいました。イエスの国のアラム語で言えば、「アッバ」です。その神とはどういう方かをイエスがもっともはっきり語るのは次の箇所です。
 「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)
 神はすべての人に必要な恵みを与えてくださる方。これも神からの「よしよし」だと言えるでしょう。

 わたしたちは人間同士の間でも、この「よしよし」を必要としていますが、人間同士の場合、この「よしよし」を期待しても、現実には裏切られてしまうという体験もあります。
 すごく悲しいですが、虐待や暴力という現実があり、親に裏切られる、家族に裏切られるということがあります。日本の原発で過酷事故は絶対に起こらない、と言っていた政府や電力会社に裏切られるということもありました。もっとひどいことですが、教会や司祭に裏切られるということもないとは言えません。だからもう「よしよし」なんていう言葉に騙されないぞ、という思いもわたしたちの中にあると思います。
 いや、でもだからこそ本当に、心から真実に「よしよし」と言ってくださる方を、探し、見つけ、その「よしよし」に信頼していきたいのです。アッバである神の「よしよし」はわたしたちを決して裏切らない、イエスの「よしよし」はわたしを決して裏切らない。それがわたしたちの信仰です。



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