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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第20主日



隣のさゆり幼稚園園庭のミニトマト。真夏の日差しの中で真っ赤な食べごろを迎えています。
でも夏休みだから、だれが食べることになるんでしょう?

●年間第20主日
 聖書箇所:エレミヤ38・4-6, 8-10/ヘブライ12・1-4/ルカ12・49-53
         2019.8.18カトリック原町教会
 ホミリア
 平和旬間は8月15日まででしたが、今日の福音には「平和」という言葉が出てきます。しかも「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」(51節)という衝撃的な形で出てきますので、やはり平和について話そうと思います。
 今日の福音の箇所を読んで、フランシスコ教皇の言葉を思い出しました。フランシスコ教皇は、教皇になられた2013年に発表した最初の使徒的勧告『福音の喜び』の中でこうおっしゃっています。
 「平和な社会とは、融和でも、あるいは単に、他の一部の社会を支配することによって暴力がなくなることでもありません。平和が、貧しい人々を黙らせ鎮める社会組織の正当化の口実となるならば、それは偽りの平和も同然です。」(218)
 「すべての人の全人的な発展integral development の実りとして生まれたわけではない平和は、未来に向かうものではなく、つねに、新たな紛争と種々の暴力の火種となるのです。」(219)
 強大な権力が力で人を押さえつけているから、争いがないというような平和は偽りの平和。本当の意味ですべての人が幸せになっていくような道以外のところに成り立つ平和(つまり極端な格差や排除の上に成り立っているような平和)も偽りの平和。教皇はそのような平和を厳しく批判しています。それはラテンアメリカ、アルゼンチンの軍事独裁政権の下での残虐な人権侵害を経験してきた司牧者としての強い思いなのでしょう。今日の福音でイエスが否定したのも、まさにこのような偽りの平和だと言ったらよいのではないでしょうか。

 人が人を踏みつけている中での平和は偽りの平和です。だから平和は神の国と切り離せません。神の国とは、神の愛がすべてにおいてすべてとなる状態だと言えます。本当に神の愛がすべてに行き渡り、人と人とが大切にし合う世界。そこにある平和だけが本当の平和なのです。そんなのは理想に過ぎないでしょうか。現実の世界では力と力の均衡、武力と武力のバランスの上にしか平和は成り立たないのでしょうか。
 しかし、わたしたちは本当の平和に向かって歩みたい。

 山上の説教の冒頭、八つの幸い(真福八端)の中に「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」という言葉があります。直訳はむしろ「平和をつくる人」です。英語で言えば「peace maker」です。日本語で「平和をつくる」という言い方はなじみが薄いので新共同訳は「平和を実現する人」と訳したようです。でも「実現する、平和を実現する」と言ってもやはり具体的にどういうことかピンとこない気もします。
 「平和を守る」ではなく、「平和をつくる」というところがポイントなのです。平和を守り、戦争を避けることはもちろん大切なのですが、それだけでは本当の平和は実現しない。平和は単に戦争のない状態ではなく、いつもつくり続けなければならないものです。「平和はそこにあるから、守るもの」というのではなく、「平和はつくるもの、いつもつくり続けなければならないもの」これは大切なことです。

 この点でもフランシスコ教皇の言葉がヒントになると思います。教皇は『福音の喜び』の中で、平和な社会をつくるための第一の原理として「時間は空間に勝る」という原理を挙げています。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、こう説明しています。
 「この原理は、早急に結論を出すことを迫らず、長期的な取り組みを可能にします。また、困難であったり反対を受けたりする状況に辛抱強く耐えることや、力強く動く現実によって迫られる計画の変更を助けます。」「空間を優先させることは、現在の時点ですべてを解決しようとする、あるいは、権力と自己主張が及ぶ空間すべてを我が物にしようとするという愚かな行為へと人を導きます。」「時を優先させるということは、空間の支配より、行為の着手に従事するものです。」(223)
 この世界に問題はいっぱいあります。その問題を空間的に見て、今の時点ですべて解決しようとすると力に頼らざるをえない。それは愚かなやり方だ。そうではなく、時間を大切にする。時間をかけてできることを積み重ねていく、そのことのほうが大切だ、ということです。
 対立があるときに、力で解決しようとするのではなく、地道に対話と相互理解を積み重ねていく、ということでもありますし、本当にすべての人に幸せが行き渡るように、少しずつでも役に立つ働きを積み重ねていく。

 そう考えれば、わたしたちも「平和をつくること」ができます。辛抱強く人の話に耳を傾けること、辛い思いをしている人のそばにいてあげること。平和のために、わたしたちにできることがあるはずです。そう考えているうちに、マタイ福音書25章の有名な言葉を思いだしました。
 「35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」「40はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」
これは全部、平和をつくる働きだとも言えると思います。どうしたら平和をつくることができるか、イエスははっきりと示してくださいました。そしてそれはイエスご自身の歩みでもありました。
 わたしたちが本当の平和をつくるために働く者となりますように。アーメン。


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