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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第22主日



今日は朝5時に南相馬を出て、仙台教区第6地区の教会の一つである元寺小路教会に行き、7時と9時半のミサをささげました。仙台駅に近い、仙台教区でもっとも大きい教会です。
朝7時でも結構おおぜいの参列者がいて、びっくり!

●年間第22主日、被造物を大切にする世界祈願日
 聖書箇所:シラ3・17-18, 20, 28-29/ヘブライ12・18-19, 22-24a/ルカ14・1, 7-14
        2019.9.1カトリック元寺小路教会
 ホミリア
 今日の福音を読むたびに、カトリック信者は福音に忠実だな、と思います。たいていの教会で、聖堂の席は末席から埋まっていく。みんななるべく前のほうには座りたがらない。できるだけ末席に座りますよね。本当に福音に忠実だと感心しています、って言うのは嫌味ですね。あまり祭壇や神父の近くに行きたくないっていうことでしょうか? ちょっと距離をとっておいたほうが落ち着く? まぁ、人間的にはその気持ちもわからないでもありません。とにかく、いい席を求めるような雰囲気はほとんどないので、今日の福音の前半の教えについては、皆さん、問題ないでしょう。

 もう1つの教えはどうでしょうか?
 「12昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。13宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。」
 これは結構厳しいですね。わたしたちはふだん、だれと一緒に食事をしているでしょうか?まあたいていは家族だったり、仲のいい身内だったりと一緒に食事をしているでしょう。それで当たり前だと思っていますが、イエスの言葉はこのわたしたちの常識をゆさぶってきます。

 わたしは今、福島県南相馬市の原町教会にいます。東京教区の補佐司教を引退して、3年前から原町教会にいますが、ちょうどそのころ、教会のとなりにカリタス南相馬ができました。最初は自分の食事は自分で作ってひとり教会で食べようと思っていました。でも隣でボランティアやスタッフが一緒に食べているのに自分だけというのもへん。それでまず自分の食事を作って持っていってみんなと一緒に食べていましたが、それも不自然なので、みんなと同じものを食べるようになりました。でもなんか申し訳なくて、ときどきわたしが料理を担当したりしています。多いときは30人とかになるのでたいへんですが、わたしにできるボランティアは食事作りぐらい? 昨日はパエリアをつくりました。そんなに豪華なやつじゃなく、シンプルなものです。

 カリタス南相馬は基本的にボランティアベースですから、いろいろな人が来ます。まあ、南相馬までボランティアに来る人に悪い人はいません(全国からそこに行くのは、仙台に行くよりずっと不便です)。みんな、いい人です。でもまあいろいろな人がいます。カリタス南相馬は、その人たちに宿泊と食事を提供しているのです。2階に雑魚寝で男女6人ずつ泊まれて、食事は1階のホールで一緒にします。ボランティアをしたい、あるいは原発事故の被災地を実際に見てみたいという人なら誰でもOKです。いろんな人が来る。そのだれも排除しない。これがわたしとスタッフの暗黙の了解です。
 考えてみると、不思議な食卓です。誰が来てもOK。そういう場でいつも食事をするという経験はわたしにとってはめずらしい経験です。そして自分にとってはとてもいい経験だと思っています。「だれが来てもwelcome」、本当に心から自分はそう言えるだろうか? そう問われている気がします。でもこの地にいて、カリタス南相馬に関わっているということはそういうこと。

 わたしたちは原発被災地でこの地の人々とともにいたい!という思いでいます。シスターたちも結構います。震災以前は福島県浜通りには1人もいなかったのですが今は常時7-8人います。シスターたちもカリタスのスタッフも、原発事故の被災地でこの地の人々とともにいたい、という思いなのです。
 先日、福島県でいろいろな支援活動に携わっている人たちの集まりが原町教会でありました。福島県の人々は皆、被災者だとも言えますが、福島県の小教区の人々は、周りの被災者を支援する活動を長く続けてきました。その報告を聞いたのですが、わたしの心に時に残った言葉は、「個別化」という言葉でした。
 震災から8年が経ち、目に見えるさまざまな復興事業がさかんに行われています。元気に前を見て歩いている人もおおぜいいます。でも取り残されている人も少なくないのです。問題は、貧困だったり、家庭の問題だったり、一人一人個別の問題になってきてきます。それを個別化というのです。8年経ったからこそ、深刻になっている面があります。目に見えにくくなっている問題だとも言えますが、やはりそこに目を向けていきたい。

 フランシスコ教皇は最初の使徒的勧告『福音の喜び』(2013年)の中で、「新たな形で現れている貧困と弱さ」に目を向けるよう、呼びかけています。それは「家のない人、依存症の人、難民、先住民族、孤独のうちに見捨てられてしまう高齢者」だと言います。さらに、「種々の形態の人身売買の標的となる人々」「疎外され、虐待され、暴力を受けて苦しんでいる女性」「出生前の子ども」あらゆる貧困と弱さに目を向けるように呼びかけています。さらに「そのほかにも、弱く無防備な存在があります。それは、しばしば経済的利益に翻弄され、無差別に利用される存在です。つまり、被造物全体のことです」(215項)。今日は「被造物を大切にする世界祈願日」ですが、フランシスコ教皇は、貧しい人の問題も地球環境の問題もすべてがつながっているといつも強調しています。
 今日の福音は、弱く貧しい人々にこそ目を注ぐようにわたしたちに促しています。この福音の呼びかけを受け、貧しさと弱さの中にある人に、そしてこの危機に直面している地球環境に心を向けながら、祈っていきたいと思います。


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