毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

ヨハネ会誓願式

john

10月15日に、小金井教会で福音史家聖ヨハネ布教修道会の誓願式のミサが行われました。
初誓願、終生誓願、誓願金祝それぞれ一人ずつでした。そのときの説教を載せておきます。
(ちなみに翌16日には、ベタニア修道女会の初誓願式も司式しましたが、そのときの説教原稿は残っていません。
あしからず)

●福音史家聖ヨハネ布教修道会誓願式ミサの説教

第一朗読:Ⅰヨハネ4・7-12 福音:ヨハネ12・23-26

 この修道会の名前はヨハネ福音書を書いた使徒ヨハネからとられています。このヨハネの最後がどういうものであったかは伝えられていませんが、他の弟子たちがなくなった後も、ずっと長生きしたようです。聖書にも彼があまりにも長生きしたので、この弟子は世の終わりが来るまで死なずに生き残るのではないかと噂されたという話があります。
 さてある言い伝えによると高齢になった使徒ヨハネは、だんだんいつも同じことしか言わなくなったそうです。「互いに愛し合いなさい」と、そればかりを繰り返すようになった。ヨハネにも弟子がたくさんできていて、その弟子たちは「先生、もっと別のことも教えてください」と頼んだのですが、いつも言うのは「互いに愛し合いなさい」、そればかり。とうとうある弟子が、「先生、なぜ、いつも同じことばかり教えておられるのですか」と尋ねると、ヨハネは言ったそうです。「互いに愛し合いなさい。これが主の教えだからだ」

 本当にこれに尽きます。イエス・キリストの教え、ヨハネによる福音書の教えの中心はこれです。きょうの第一朗読でも、はっきりと「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」と言います。なぜなのか。そこにはっきりと理由が述べられています。それは「神が愛だから」です。神様は、この世界を、そしてすべての人間を限りなく大切に思っていてくださる方、すべてのいのちを生かしてくださる方。だからわたしたちも互いに大切にし合う、という生き方に招かれているというのが、キリスト教の信仰の根本です。
 何よりもイエスご自身がその神の愛を生き抜きました。ヨハネ福音書13章1節(受難物語のはじめ)にこうあります。「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」ヨハネ福音書によれば、十字架とはイエスの愛の極限の姿なのです。そして、そこにおいてイエスは、愛そのものである神と完全に一つになり、神が愛であることを完全に表す方となりました。だから十字架の時が栄光の時なのです(きょうの福音参照)。
 わたしたちもこの愛に招かれています。ヨハネの第一の手紙では、こうありました。「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(4・12)
 戸塚文卿神父やマザー岡村ふくが使徒聖ヨハネの名前を病院や修道会の名前として選んだのは、この愛を生きるためでした。

 イエスが目に見えない神の、目に見える「しるし」であったように、教会も「しるし」だと言います。目に見えない神の愛を目に見える形で指し示すのが教会の使命です。修道会と一人一人の修道者はこの教会の使命に、特別な形で参与します。目に見えない神の愛を、目に見える形で生きること。
 日本語で普通「修道者」と言いますが、本当は良くないのではないでしょうか。「道を修める人」と書きますが、自分が自分の神への道を究めるために修道者になるのではありません。そうではなく、特別な形で自分のすべてを神にささげ、人々のため、教会のために、自分のすべてを神に使っていただくのが修道者(奉献生活者)です。
 ヨーロッパ、北アメリカ、日本のような国では、現代は修道者が少ない社会になりました。それは同時に目に見えない大切なものを見失い、神とのつながりを忘れ、人と人とのつながりを見失った社会でもあります。だからこそこの社会の中で修道者として生きることに大きな意味があります。と同時に決して簡単な道ではないでしょう。
今日初誓願と終生誓願を立てるお二人には、2つのことをお願いします。

 1つは笑顔です。人はシスターの笑顔によって救われます。わたし自身、人生の中で何度も経験したことなので断言できます。この笑顔は根本的に神との親しい交わりから来ます。どうか本物の笑顔をもったシスターになってください。その笑顔を持ち続けてください。
 もう1つは孤立しないこと。修道会のシスターのつながりを信じて大切にしていってください。年齢の近い姉妹、年齢の離れた姉妹、同じ家族として主に招かれたつながりを信じてください。そして出会う人々とのつながり。ヨハネ会のシスターは特に病気の人や障害者とその家族、たくさんの人との出会いに招かれています。そのつながりを神から与えられた出会いとして、神に結ばれたつながりとしていつも受け取るようにしてください。このようなつながりがわたしたちの奉献生活とミッションを支える力になるのです。
 誓願を立てるお二人の歩みを神が豊かに祝福し、導いてくださるよう祈りながら、誓願式を行いたいと思います。


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