FC2ブログ

毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第29主日・世界宣教の日



シスターEからいただいた南相馬市高の倉ダム方面の被害の写真です。
今日もカリタス南相馬からボランティアが出かけて行きました。

●年間第29主日・世界宣教の日
 聖書箇所:出エジプト17・8-13/IIテモテ3・14~4・2/ルカ18・1-8
         2019.10.20カトリック原町教会
 ホミリア
 今日の福音は祈りについての教えです。冒頭に「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」とあります。
 わたしたちが祈らないとしたら、それは「気を落としている」からということになるでしょうか?「祈っても祈っても何も変わらない」そう感じて気を落としてしまう、ということはわたしたちの中に確かにあるかもしれません。そんなわたしたちに対して「そうではない。神は必ずわたしたちの叫びを聞いてくださる」イエスはこの神への信頼をもって祈り続けるよう、わたしたちを励ましています。
 わたしたちは何を祈るのでしょうか?わたしたちの中には、苦しみの中で必死に神に助けを求めて祈った、という経験があるかしもしれません。もちろんそれはそれで大切なことです。今日の福音のたとえ話の中のやもめのように、それこそが真実の祈りだと言ってもいいかもしれません。でも祈りはそれだけではないでしょう。

 今日は世界宣教の日です。今日、わたしたちは何を祈ったらいいのでしょうか。
 「世界宣教の日」は英語ではWorld Mission Dayと言います。今年の10月は「宣教のための特別月間Extraordinary Missionary Month」とされていますが、今年のこの日の教皇メッセージのタイトルはこの特別月間のテーマと同じで、「洗礼を受けて派遣されるBaptized and Sent」、洗礼を受けたわたしたちキリスト者全員が派遣されているということを強調しています。
 missionは多くの場合、「宣教」と訳されていますが、本当の意味はもっと広い、「神からの派遣、主イエスからの派遣」の意味です。わたしたちは何のために派遣されているか、それはやはり、神の愛を伝えるためです。
 でも、どうしたら神の愛が伝わるのか、というと、やはりむずかしいですね。

 先週のテレビのニュースで、日本の子どもの自殺者数が近年で最高になったと報じられていました。小学校・中学校・高校から報告のあった自殺者の数は、男子193人、女子139人で合わせて332人。1988年以降、最悪になったそうです。子どもの自殺の原因は必ずしもいじめが多いわけではなく、いろいろな心理的要因がからまっていて、よく分からないのだそうです。だから自殺対策もほとんどできていない。そして結果的に多くの子どもが自死によって死んでいく、という悲しい現実があります。もしも神の愛、神がわたしたち一人一人を限りなく大切にしてくださっている、その神の愛を知っていたら、死なずに済んだかもしれない、とわたしたちは思います。でもキリスト教は日本では広まらないし、本当にどうしたら一人一人の人間を限りなく大切にしてくださっている神の愛が伝わるのか。やはりむずかしいと思います。

 考えているうちに心に浮かんできたのは、マザーテレサの祈りと言われる『わたしをお使いください』という曲です。

1. 主よ、今日1日 貧しい人や病んでいる人々を助けるために
 わたしの手をお望みでしたら 今日わたしのこの手をお使い下さい。
2. 主よ、今日1日 友を求める小さな人々を訪れるために
 わたしの足をお望みでしたら 今日わたしのこの足をお使い下さい。
3. 主よ、今日1日 優しい言葉に飢えている人々と語り合うために
 わたしの声をお望みでしたら 今日わたしのこの声をお使い下さい。
4. 主よ、今日1日 人というだけで どんな人々も愛するために
 わたしの心をお望みでしたら 今日わたしのこの心をお使い下さい。

 出典が分からず、完全にマザーテレサの言葉かどうか確認できませんが、それは重要なことではないと思います。祈りというのは誰が作ったのかということはあまり問題ではありません。大切なのは内容です。
 この祈りは本当に今日のWorld Mission Dayにふさわしい祈りだと思いました。本当に人を愛するのは、神であり、イエスです。貧しい人を助けるのは神ご自身です。孤独な人を訪れるのも神ご自身です。愛に飢え渇く人々に語りかけるのも神ご自身です。わたしたちはその道具に過ぎません。「神の愛、イエスの愛を運ぶ道具になる」、それがわたしたちのミッションだと言ったらいいと思います。

 昨日わたしは復興住宅の集会所で行われた「足湯」というボランティアに参加してきました。そこの住民の方一人一人、お湯に座って足をつけてもらいながら、手のマッサージをする。そこでいろいろな話を聞くというような内容です(足のマッサージをするわけではありません)。実は、わたしはマッサージをして差し上げるほうはできなくて、されるほうだけ体験しました。最後にタオルで足をふいてもらって終わりになるのですが、まるでイエスが弟子たちの足を洗ったようで、本当に人を大切にしているという雰囲気がありました。
 今日はカリタス南相馬から、何人かが南相馬のボランティアセンターに出かけています。まあ、ミサも大切ですけれど、苦しんでいる人・助けを必要としている人のところに出かけていく。それも今のような災害のとき、災害の場所では必要なことだと思います。

 本当にわたしたちが主の手足となって、主の愛を運ぶ者となることができますように。一人一人が派遣された者(ミッショナリー)として生きることができますように。「わたしをお使いください」と心から祈りたいと思います。


PageTop