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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

自死された方々のためにささげる追悼ミサ



写真は常磐道山元南インターから角田方面に向かう途中の小斎峠。丸森方面は今も通行止でした。
(本文とは関係ありませんが)

●自死された方々のためにささげる追悼ミサ
 聖書箇所:知恵の書11章23-26節/ルカによる福音15章1-7節
        2019.11.16東京四ツ谷・聖イグナチオ教会にて  
 ホミリア
 フランシスコ教皇来日の日が近づいています。今回の教皇訪日のテーマというのがあって、それは「すべてのいのちを守るため Protect All Life」というものです。これは2015年に出された「ラウダート・シ」という回勅の最後にある祈りから取られた言葉です。
 「いのちは大切だからいのちを守ろう」というのは当然すぎるかもしれません。でも「すべてのいのちを守るため」の「すべての」というところに強調点があると思っています。そこで今日の福音朗読に100匹の羊のたとえを選びました。
 100匹の羊を飼っている人がいて、そのうちの1匹が迷子になったら、その1匹を探しに行き、見つけたら大喜びする、神とはそういう方だ、とイエスは教えています。「99匹を野原に残して」というところはちょっと気になるかもしれません。この99匹は大丈夫だろうか?そういう心配もなくはありません。それでもそれでもこの1匹をどうしても見捨てておくわけにはいかない。これが神の心だというのです。
 100匹の羊がいて、1匹欠けて99匹になった。まぁ、だいたいみんないるからいいだろう、じゃないのです。99匹は決して「すべて」ではありません。もっとも弱く、小さい、迷っている羊が尊重されなければ、すべてのいのちを守ることにならないのです。
 その神の心を今日、深く受け止めたいと思います。

 わたしは3年前から、福島県南相馬市に住んでいます。そこは東日本大震災と福島第一原発事故の被災地で、カトリック原町教会があり、隣にはカリタス南相馬という被災者支援の拠点があります。
 震災・大津波から、原発事故から8年もたって、もうかなり復興も進んでいるんじゃないか、と言われることがよくあります。復興の名の下にさまざまな公共工事は盛んに行われていますし、元気で前向きな人もおおぜいいます。来年は復興五輪とか言って、それが済めば復興も終わったことにしてしまおう、というような雰囲気がなくもない。
 でも、8年頑張ってきて、もう疲れ果ててしまったという人、8年で8歳を取って、弱くなってしまった人も少なくないのが現実です。福島県は震災の直接死よりも震災関連死のほうが多いのです。関連死は長い避難生活の中で体調を崩して亡くなったり、精神的に追い詰められて自死してしまった人を含んでいます。そしてこの関連死の方は今も出つづけています。
 その土地にあって、わたしたち小さなキリスト教共同体に何ができるのか、いつも考えさせられています。

 福島県浜通りには、ほとんどクリスチャンはいません。最近思うのですが、福島県浜通りの人々というのは、神仏を大切にし、家族を大切にし、地域の人々とのつながりを大切にし、自然を大切にし、それぞれの仕事(農業や漁業であれ、会社員であれ)を大切にして生きてきた人々です。でもそれらをすべて奪われてしまった。津波でというよりも、原発事故によってすべてを奪われた。それらを奪われたことによって失ったもの、それは「心の平和」と「生きる意味」だと言えるのではないか。「心の平和と生きる意味」を与えてくれていたもの、それがすべて失われるというのは、それは本当に厳しいことです。

 そしてまた、イエス・キリストがわたしたちに約束してくれるもの、それこそ、この「心の平和」と「生きる意味」ではないか、と思うのです。すべての人の親である神はどんなときも決してわたしたちを見捨てない。例外なくすべての人とともにいてくださり、いつくしみを注いでくださっている。そう信じるところから、心の平和=深い安心感が生まれます。そして、わたしが今生きていることの意味もそこから来ます。人間的なレベルでは何のために生きているのか、よくわからなくなることがあったとしても、神様から見たら、わたしがここでこうして生きていることには大切な意味があるのだ、と感じられるようになる。それがイエスの呼びかけた生き方=神に希望と信頼を置く生き方です。
 わたしたち原町教会、カリタス南相馬の人間がその「心の平和と生きる意味」を完全に持っているわけではありません。でもわたしたちは「心の平和」と「生きる意味」を奪われた被災者とともに生きていて、一緒にそれを探し求めていきたいと願っています。

 この心の平和と生きる意味。それは被災者だけでなく、多くの人がもしかしたら、見失ったり、迷ったりしていることではないでしょうか。特に若い世代の人々。日本の若い世代の人々の自死者の多さとか、それがなかなか減らない、むしろ今、増えているとか、よく言われています。もちろん、若者の自殺を考えるとき、そこにはいろいろな要因があります。いろいろな対策が必要でもあるでしょう。でもこの「心の平和」と「生きる意味」ということにもっと真剣に向き合い、それを得ることに取り組むことも本当に大切ではないかと思っています。

 「すべてのいのちを守る」だから「最後の1匹」も見失うまいとする神の心、その心に出会うことによって、すべての人が「心の平和」と「生きる意味」を見い出すことができますように。
 今日のミサで、亡くなられた方々の神のもとでの永遠の安息を祈るとともに、残されたわたしたちにも、心の平和と生きる意味が与えられますように、心を合わせて祈りましょう。


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