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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第33主日・貧しい人のための世界祈願日



この日最後のミサは角田教会。台風の被害がひどかった地域です。
ここは幼稚園の中の一室が教会の聖堂になっています。人数はとても少ないけど、頑張ってます!

●年間第33主日・貧しい人のための世界祈願日・聖書週間(24日まで)
 聖書箇所:マラキ3・19-20a/二テサロニケ3・7-12/ルカ21・5-19
        2019.11.17カトリック大河原教会、亘理教会、角田教会
 ホミリア
 昨日の朝、東京教区の田中康晴神父が天に召されました。84歳でした。
 わたしは福島に来る前は東京大司教館というところにいて、隣に東京教区の病気や高齢の司祭の家「ペトロの家」がありました。ミサや食事はペトロの家の神父たちと一緒でしたので、田中神父とも親しくご一緒させていただきました。昨日からいろいろなことが思い出されてなりません。そこでちょっと彼のことを話させてもらいます。

 1935年のお生まれで、戦後、大学生の時にカトリックに出会い、洗礼を受けました。神学校に入り、1966年に司祭に叙階されました。しかし数年のうちに躁鬱病という病気を発症してしまいました。今は双極性障害とも言われている病気です。
 周りも大変でしたが、本人もたいへんだったと思います。普通の小教区の司祭としての仕事はできなくなりました。その後、50年近くその病と戦いながら、それでも司祭としての人生を生き抜きました。1年か2年に一度ぐらい躁の状態になってしまい、そうするとちょっと妄想的なことも入って、とんでもないことをしてしまう。でもそれ以外のほとんどのときは鬱の状態でした。その苦しみの中で自分にできる司祭としての奉仕を精一杯引き受けて、働かれました。東京カテドラルの平日のミサ、近くの修道院のミサ、日曜日のいろいろな小教区でのミサ。本当に忠実に奉仕しておられました。
 東京の下町の人で、なんとも言えない、親しみやすさがありました。だから入院しても周りの人と仲良くなり、街でもいろいろな人と気さくに付き合っていました。カテドラルの構内でもそうでした。後輩のわたしに対しても本当に親しく親切にしてくださいました。
 わたしは田中康晴神父とご一緒させていただいて、すごくいろいろなことを考えさせられました。人が生きるとはどういうことか、司祭として生きるというのはどういうことか。

 今日の福音はイエスが、世の終わりに向かう中での、さまざまな混乱を予告する箇所です。偽キリストが現れ、戦争や暴動があり、大地震、飢饉、疫病が起こる、そして弟子たちに対する迫害もある。ほんとうにひどいことがたくさん起こるとイエスは予告します。その中で、しかし、神の守りがあるということを約束するのです。
 「16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
 「髪の毛の一本もなくならない」それは神の、本当に深く細やかな愛を強調する表現です。神はその限りない愛をもって必ずわたしたちを守ってくださるとイエスは約束します。「中には殺される者もいる」と言いながら、「髪の毛の一本も失われない」というのは矛盾でしょうか。そうではないと思います。たとえすべてが奪われても、この命さえ奪われても、決して奪われないものがある。
 奪われないもの、それはその人と神とのつながりであり、そして、そこから来るその人自身の生き方だと言ったらいいのではないでしょうか。

 田中康晴神父の人生を思い出しながら、わたしが感じているのはこの神とのつながりの部分です。人間的にはできないこと、難しいことばかりだったかもしれません。でも彼は神とのつながりの中で生きていました、司祭として生きていました。それは誰も奪うことのできないもの、あの病気も奪うことはできないものでした。
 ふだん、わたしたちはいろいろな能力を評価しています。あれができるとか、これができるとか。そして、あれを持っているとか、これを持っているとか、そういう世界に生きていますね。でも考えてみれば、それらはすべて過ぎ去るものです。全部、最後には奪われてしまうもの、最後には手放さざるをえないものです。もちろんそれらの中に大切なものがたくさんありますけれど、でも、それは永遠のものではありません。

 永遠のもの、決して奪われないもの。それはやはり、本当に、神とのつながりの部分なのです。わたしたちが精一杯信じながら生きようとしている、この信仰という神とのつながり。その中で、自分の人生、失敗もあり挫折もありながら、なんとか神と人とを大切にして生きようとする、このわたしの生き方、それは何があっても奪われることがない。

 今は終末主日であり、死者の月です。決定的な終わりを前にして、死を前にして、何が大切なのか、何が滅びないものか、それを問いかけられ、それを見つめるときだと思います。
 パウロの言葉をいつも思い出したい。コリントの第一の手紙13章。有名な「愛の賛歌」と言われるものの中にある言葉です。
 「愛は決して滅びない」「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
 決して滅びることのない、この信仰と希望と愛をもって日々生きることができるよう、心から祈りましょう。


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