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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の公現の祭日



カリタス南相馬の玄関の棚です。
鏡餅は眞こころさんの自家製。なぜか聖母子像とともに。

●主の公現の祭日
 聖書箇所:イザヤ60・1-6/エフェソ3・2, 3b, 5-6/マタイ2・1-12
                 2020.1.5カトリック原町教会
 ミサのはじめに
 正月早々、アメリカ軍がトランプ大統領の命令によってイランの重要な人物であるソレイマニ司令官を殺害した、というニュースが飛び込んできました。この年、世界の平和が守られますように、すべての人のいのちが守られますように、祈りましょう。

 ホミリア
 お生まれになった幼子イエスが、ユダヤ人だけの王ではなく、すべての人の救い主として生まれたこと。全世界のすべての人にとっての光であること。そのことのしるしとして、遠い東の国から来た博士たちが拝みに来たというのが今日の福音の箇所です。今日の福音の出来事はわたしたちを狭さから解き放ち、もっと大きなところに目を向けるように招いていると思います。

 今年は、地震・津波・原発事故という大災害から10年目を迎えます。
 わたしたちの原町教会にかつていた何人かの信徒の方は避難したまま、戻ってくることができません。震災とは関係ないかもしれませんが、昨年はご家族を亡くされた方も何人かいらっしゃいました。さびしいことです。しかし、多くの出会いにも恵まれ、震災以前よりも教会は賑わっているとも言えます。梅津神父、狩浦神父、そしてわたしが司祭として常駐するようになり、毎週主日のミサが行われてきました。洗礼式も毎年のように行われ、信徒の数も増えました。カリタス南相馬が隣にできて毎日生き生きと活動していますし、教会とカリタス、さゆり幼稚園が密接なかかわりの中で動いています。

 わたしがこの教会に来て3年が経ちますが、ずっと考えていることは、「地域とともに歩む教会」ということです。岩手県のある被災地の教会の方が言いました。「カトリック教会というのは特別な人がお祈りに行く特別な場所で、地域の人々とは何の関わりもなかった。でも震災の後、それは少しずつ変わってきている」震災と原発事故という悲惨な出来事をとおして、そしてボランティア・ベースの経験を経て、教会は、周囲の人にとってもっと近い存在になることができました。ただ信徒が集まってお祈りしている場が教会なのではなく、周囲の人々と助け合い、一緒に泣いたり笑ったりしながら生きていく。それが教会なのだと感じるようになってきました。そのことは本当に大切なことです。
 今年もこの「地域とともに歩む教会」というテーマを掲げて歩みたいと思います。
 平賀司教は今年の年頭書簡の中で、この9年間に経験した、全国の教会の方々や信徒でないボランティアの方々との交わりをとおして、神がわたしたちの教会を開いてくださった、というようなことをおっしゃっています。

 そして教皇はあの11月25日の「被災者との集い」の中で、こう言われました。
 「三重災害後の復興と再建の継続的な仕事においては、多くの手と多くの心を、あたかも一つであるかのように一致させなければなりません。こうして、苦しむ被災者は助けを得て、自分たちが忘れられていないと知るはずです。多くの人が、実際に、確実に、被災者の痛みをともに担っていると、兄弟として助けるために手を差し伸べ続けると知るでしょう。」
 東日本大震災と原発事故からの復興・再建という課題は決して終わってはいません。特に「心の復興」と言われる課題はこれからも続いていきます。その意味で、この教会はこれからも「被災地の教会」であり続けます。地域の復興のため、本当に人々の心に平和が取り戻されますように、力を合わせて取り組みたいと思います。
 昨年の台風19号によってこの教会の周辺の地域でも、また大きな被害が出ました。たぶんこれからもいろいろな災害が起こると思います。そういう中でもわたしたちは常に被災された方、特に弱い立場の方々と共に歩んでいきたいと思います。

 もう一つわたしの心に残っているのは、フランシスコ教皇が東京ドームのミサの説教で言われた「野戦病院」という言葉です。
 「いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。それは、傷のいやしと、和解とゆるしの道を、つねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です。」
 その人が仲間であるかどうか、味方か敵か、そんなことは関係ない。お金があるかどうか、それも関係ない。傷つき、もがいているすべての人に神のいつくしみを示す、それが野戦病院としての教会です。「いつくしみ」と訳されている言葉は英語では「compassion」となっていました。「共感・共に苦しむこと」という意味ですね。どうかわたしたちの教会が、いまもなお、被災地の教会だからこそ、この野戦病院としての教会の姿に近づくことができますように。

 非常に具体的な課題は3つあると思います。

・教会に新しく来る人をていねいに迎え入れる(新信者も含めて)
・(病気や高齢のために)なかなか教会に来られない人に心を向ける
・外国籍の信徒とともに教会共同体を作っていく

 わたしの力、能力や体力にはいろいろ限界を感じています。どうか皆さんが少しずつ力を出し合って、これらの課題に取り組んでくださいますように。
 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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