毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の降誕・夜半のミサ説教

もみの木ステーション

クリスマスおめでとうございます。
説教の原稿を整える時間がなく、このブログの更新もサボっていました。
申し訳ありません。
秋津教会での主の降誕・夜半のミサの説教をお届けします。
(写真はいわき市にできた「さいたま教区もみの木サポートステーション」です)

●主の降誕・夜半のミサ(ルカ2・1-14)

 クリスマスのミサですが、わたしは昨日、福島県いわき市に行ってきて、そこで非常にうれしい出会いがありましたので、そのことを分かち合わせていただきたいと思います。

 いわき市は福島県の浜通り(太平洋岸)の南のほうにあります。ここも3月11日にかなりの津波被害があり、県の発表によれば死者・行方不明者を合わせて348人、家屋の全壊が7,610軒ということです。ここには早くからさいたま教区がボランティアに入り、いわき湯本教会を使って活動をしてきました。最初はガレキの撤去や炊き出しから始まり、次第に活動の中心は「傾聴」になりました。地元いわき教会の方と一緒に仮設住宅の一軒一軒をたずね歩き、特に高齢で一人暮らしの方、つまり孤立の危険の多い方を見つけて定期的に訪問し続けるというような活動です。その活動をより充実させ、続けていくために、この度、200世帯が住む大きな仮設住宅のそばに「もみの木サポートステーション」が建設されました。材木はフィンランドの会社が提供してくれたそうで、立派なログハウスです。その開所式が昨日行われたので、東京教区からの連帯のしるしとして、わたしも行ってきました。

 そこで50歳ぐらい(?)の男性に出会いました。いわき教会の信徒のうちで彼一人だけ津波で家が流され、仮設住宅に住んでいるという方でした。その方が、「幸田神父さんにお会いできてとてもうれしい」とおっしゃるのです。「実は、津波ですべてが流されたとき、どうしても幸田神父さんが昔書いた『マルコによる福音書』の本がほしくて、インターネットの古本屋を検索して、やっと見つけて手に入れました」とおっしゃるんです。もう15年も前のNHKのラジオ番組のテキストですから手に入れたということは奇跡みたいなものです。さらにこうおっしゃいました。「あの本の中に『信仰とはあきらめないことだ』という言葉があって、ずっとそれに励まされてきました。もう一度あの本を手元に置いておきたかったのです」

 マルコ4章にイエスがガリラヤ湖の嵐を静める話があります。そこでイエスは弟子たちに「なぜ怖がるのか、まだ信じないのか」とおっしゃいました。マルコ福音書では、信じることの反対は、そこでは疑いではなく、恐れなのです。逆に言えば、恐れに打ち勝ち、前に向かって漕ぎ進む力、それが信仰の力だと、その本には書いてあります。
 続くマルコ5章には、イエスがたまたま出会った女性、12年も出血が止まらず、汚れた女と見られていた人をいやす話があります。そこでイエスは、いやされた女性に向かって「あなたの信仰があなたを救った」と言いました。あきらめを乗り越え、絶望を突き破って、必死でイエスに向かって行く姿勢、それが信仰の力だ、ともその本には書いてあります。
 その本を仮設住宅の中で大切に読んでくださっている方がいる。わたしは本当にありがたいと思いましたし、感動しました。わたしの本だからというのではなく、マルコの福音が、いや、イエスの福音が被災者の心の支えになっているということに感動したんです。

 今年、震災の後、わたしは宮城県の南三陸や石巻、岩手県の釜石、そして福島県の南相馬など、いろいろな被災地を訪問する機会を与えられました。復興に向けて確かな動きが始まっているところもありました。しかし、その一方では高齢者や一人暮らしの人が多く、すべてを奪われて、何の希望を持てずにいる方々もおおぜいいるということも感じました。そして、カトリック教会がそれぞれの地域で、特に弱い立場に置かれた人々に寄り添いながら、何とか一緒に歩んで行こうとしている姿に感動しました。わたしたちキリスト者にできることは本当に小さなことでしかありません。しかし、あのイエスが2000年前にガリラヤでなさったのと同じことを、今のわたしたちの現実の中で少しでもしていきたいと思って働いているのです。

 わたしたちは今日、イエス・キリストの誕生をお祝いしています。
 なぜわたしたちは、両親が宿屋に泊まれなかったため、家畜小屋のようなところで生まれ、飼い葉桶に寝かされた赤ん坊の誕生をお祝いしているのでしょうか? なぜお祝いにかけつけたのが、ベツレヘムの町の人々ではなく、その町の人々からさげすまれていたような貧しい羊飼いたちだけだった、そんな幼子の誕生をわたしたちはお祝いしているのでしょうか?
 それはこのイエスが成人して、出会った人に、特に貧しさや病気や人からの差別に打ちのめされ、すべてを奪われたような人々に、ほんものの信頼と、希望を、愛をもたらした方だと知っているからです。そしてそのイエス・キリストは今のわたしたちにも、その信仰と希望と愛の光を与え続けていくださると信じているからです。

 わたしたちは今夜、幼子イエスの姿を見つめながら、この幼子の中に、「どんな苦しみや悲しみの中にも神がともにいてくださる」というメッセージを受け取ります。「どんな貧しさや弱さの中にあっても、それでもイエスがその貧しさや弱さをともに担ってくださる」というメッセージを受け取るのです。
 だからわたしたちは、たとえ今の現実の中でどんなに深い、大きな闇を感じているとしても、それでも、「メリー・クリスマス」と言います。そして、もう一度、人生やってみよう、もう一度、あきらめずに、信じて、希望して、愛していこうという決意を新たにするのです。

 主イエスのご降誕、おめでとうございます。


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