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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の昇天



今日は日本では主の昇天の祭日ですが、5月24日は援助マリア(=扶助者聖母)の祝日でもあります。南相馬市小高区の援助マリア修道会の修道院は普通の民家だった家を使っていて、チャペルも和室です。
床の間の聖櫃の横には、マリア像と創立者の写真。

●主の昇天
 聖書箇所:使徒言行録1・1-11/エフェソ1・17-23/マタイ28・16-20
            2020.5.24非公開のミサにて
 ホミリア
 主の昇天の祭日から聖霊降臨の主日までは、特別に「聖霊来てください」と祈る期間です。第一朗読にあるように、イエスは昇天の前に弟子たちにこう約束されたからです。
 「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 使徒言行録1章には、イエスの昇天直後の弟子たちの姿が伝えられています。
 「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒言行録1・12-14)
 その数は120人ほどだったとも伝えられていますが、この祈る弟子たちの集まりの中にイエスの母マリアがいます。今のわたしたちは集まって祈ることが困難になっていますが、互いに離れていても、わたしたちが「神の助けである聖霊」を待ち望んで祈るとき、マリアさまが一緒に祈っていてくれることを感じられたらと思います。

 わたしたちはいつも祈りの中でマリア様のことを思い出しています。「アヴェマリアの祈り」が典型ですが、そこでマリアさまに願っていることは、「聖マリア、わたしたちのためにお祈りください」ということです。マリアさまに「ああしてください、こうしてください」と願うよりも、「マリアさま、わたしたちのために祈ってください」と願う、これが基本的な祈りの姿勢です。それは、わたしたちの第一人者として天の神のもとに上げられた、被昇天のマリアさまに向かって、神の近くでわたしたちのために祈ってください、という意味でもあります。カナの婚礼の場面で、ぶどう酒がなくなったことに気づいて、イエスに「ぶどう酒がありません」と告げたマリアさまは、わたしたちに何が必要か、母の愛をもって分かってくださるから、だからわたしたちのためにとりなして、祈ってくださると信頼してこう願うのです。それだけでなく、わたしたちが祈るとき、そばにいて、わたしたちとともに祈ってください、というイメージも大切にしたい。それがまさに使徒言行録1章の、聖霊を待ち望んでいた使徒たちの中で一緒に祈っているマリアのイメージです。「マリアさま、祈ってください。わたしは祈りませんから」じゃないですね。「わたしは祈りますけれど、わたしの祈りだけじゃ足りないから、マリアさま、一緒に祈ってください」と言ってもいいかも。
 でも、もっと切実に、マリアさまの助けを願うということもあるのだということを体験する機会が、最近、わたしにはありました。
 実はわたしはある時から高所恐怖症になってしまいました。若いころは、高い木の上に登ったり、脚立に乗って高い天井の電球を換えたりするのがむしろ得意でした。それがある時、首都高速を運転していて、ものすごく高い橋の上にいることに気づいた瞬間、「怖い」と感じたのです。そしてそれ以来、高いところが苦手になり、いつも首都高速の高い場所に差し掛かると、体がこわばってしまうようになったのです。

 同じように、ある時から高速恐怖症になりました。これも高速道路を運転していた時のことです。昨年末ぐらいでしょうか。夜の高速道路でスピードを出して走っていたとき、何かの拍子で「怖い」と感じたのです。それ以来、夜の高速で運転するのが怖くなってしまいました。ある時は、本当に恐怖心でいっぱいになり、高速道路なのに60キロも出せなくなって、必死で次のインターチェンジまで行って、そこで降りました。もう夜の高速は乗れない、と思ったのですが、そういうわけにもいかず、どうしても夜の高速道路を運転しなければならないこともあります。それはもう必死です。そのとき、無意識に「マリアさま、助けて」と口走りました。「マリアさま、助けて」と何度か言っているうちに、恐怖心がすうーっと消えていったのです。それ以来、「怖い」と感じたときは「マリアさま、助けて」と祈る、いや口走ると、本当に怖くなくなりました。とても不思議です。
 
 わたしはそれまで「マリアさま、助けてください」なんて祈ったことはありませんでした。咄嗟に「マリアさま、助けて」と言ったのは、リジューの聖テレーズの影響だったかもしれません。テレーズは自叙伝の中で、子どもの頃に重い神経症だったのが、必死で祈っているときに「マリアさまのほほえみ」に出会って、神経症から回復したという話を書いています。それが心に残っていて、「助けて」と言ったのかもしれません。とにかく効果は絶大で、恐怖心が消えてしまったのです。「怖い」と感じるのは、自分の身の危険を感じるからです。その危険は冷静に考えてみれば、確率としてはとても小さな危険です。でもゼロでもないのです。ただ一度怖いと思ってしまう(むしろ体が恐怖を感じて緊張してしまう)と、同じような状況で体が同じように反応してしまうのです。わたしの場合、この「マリアさま、助けて」によって、恐怖を超える信頼、自分の力を超えて自分を守ってくれる存在に対する信頼を取り戻すことができたのだと思います。

 マリアさまが具体的に何かの助けを与えてくれるというよりも、祈りの中で、恐れや不安から解放され、信頼と安心へと変えられる。それは聖霊の経験ともつながっていると思います。聖霊のことを「弁護者、慰め主、助け主」と言います。不安と恐れでがちがちになってしまうわたしたちの体と心を、解放してくださる助け主である聖霊の力を、マリアとともに祈り求めましょう。

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