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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

キリストの聖体



仙台教区では7月4日までミサ中止となっていましたが、教区からの最新の指示によれば、感染対策の準備ができたところから、前倒しでミサを再開してよいことになり、原町教会では来週21日から通常のミサを再開することになりました。
写真は前後左右に距離を置くようにした聖堂の椅子の配置です(それほど大きな間隔は取れませんでした)。

●キリストの聖体(祭)
 聖書箇所:申命記8・2-3, 14b-16a/一コリント10・16-17/ヨハネ6・51-58
            2020.6.14非公開ミサにて
 ホミリア
 仙台教区からの新しい指針が昨日届き、原町教会では来週21日(日)から通常のミサが再開されることになります。もちろんいろいろな感染予防対策をとった上で、人数制限などもありますが。
 新型コロナウイルス感染症の流行のため、仙台教区では3月1日の四旬節第一主日の翌日から、一般の人の参加するミサが行えなくなりました。仙台教区では、ミサの代わりに短い聖体拝領の式が許されていましたが、それも全国的な外出自粛要請のために行えない時期がありました。この3ヶ月、多くのカトリック信者はミサに参加し、聖体をいただくことの意味を改めて考えてきたと思います。その上で、今日の聖体の祭日に、聖体の意味をご一緒に分かち合いたいと思います。

 今日、一緒に味わいたいのは、フランシスコ教皇の使徒的勧告『福音の喜びEvangelii Gaudium』の中の言葉です。それは、「聖体は秘跡的生活の頂点ですが、完璧な人のための褒美ではなく、弱い者のための良質な薬であり栄養です。」という言葉です。この言葉がどういう文脈で出てくるかを見ましょう。
 「47教会は、つねに開かれた父の家であるよう招かれています。・・・だれもが何らかのかたちで教会生活に参加することができます。だれもが共同体の一員となることができます。まして秘跡の門は、いかなる理由があっても閉ざされるべきではありません。これはとくに『門』である洗礼の秘跡について言えます」
 このあとに先ほどの言葉があります。「聖体は秘跡的生活の頂点ですが、完璧な人のための褒美ではなく、弱い者のための良質な薬であり栄養です」と。

 キリスト者の少ない日本ですが、主日のミサには必ずと言っていいほど、洗礼を受けていない方が参加してくださっています。これはありがたいことですが、ミサの聖体拝領のとき、カトリック信者でない人が聖体を受けることができないのをどうしても「排除」と感じることがあります。「なぜ洗礼を受けていない人は聖体をいただけないのか」でも本当は排除ではないのです。聖体はキリストとの一致のしるしであり、そこにすべての人は招かれています。その招きに応える最初の入り口=「門」は洗礼の秘跡なので、原則的には洗礼を受けてから聖体をいただくということになっているのです。洗礼の秘跡は教皇が言うとおり、すべての人に向かって開かれています。それでもミサの場面だけを見ると「排除」に見えてしまうかもしれません。そのため、「決して排除ではない、神はすべての人を招き、受け入れている」ということを感じてもらうために、日本では聖体拝領のときに、聖体をいただけない人を「祝福」をするという習慣が定着してきました。

 カトリック信者が聖体をいただくのは「特権」でも「ご褒美」でもありません。教皇によれば、それはむしろ「弱くて、聖体という薬と栄養を必要としているから」なのです。離婚を経験した人・再婚した人が聖体をいただいているのを見て、非難の眼差しを向けることがかつての教会にはありました。いや、今もなくなっていません。ある場合は、教会法で認められていないケースにあたるかもしれません。しかし、罪ある人、教会法に適わない人は聖体を受ける資格がない、という見方で人を非難するのが本当に福音の教えに合っているかどうか、問い直したいと思います。はっきりしていることは、「イエスは罪人のために世に来られた」ということ、「聖体は罪人のためにある」ということです。
 『福音の喜び』48番にはこうあります。「教会は例外なくすべての人のもとに行き着かなければなりません。しかし、だれを優先すべてきでしょうか。福音書の中に、非常に明確な指針が示されています。友達や近隣の金持ちではなく、むしろ貧しい人や病人です」

 この点で最近ちょっと気になることがあります。それはある教区で、公開のミサを再開するにあたり、「高齢者は来ないように」という指示を出していることです。ミサを再開する以上、そのミサはすべての人に開かれていなければなりません。「発熱や咳などの症状があって、感染の疑いのある人は来ないでください」というのならわかります。しかし、他の人を害する危険がある、ということ以外の理由で、ミサから誰かを排除することはあってはならないはずです。「高齢者は来ないように」というのは、高齢者が他の人を感染させる恐れがあるからではありません。高齢者が感染した場合、本人が重症化する可能性が高いからだというのです。もちろん、それは心配です。引き続きミサにあずかる義務は免除されますと言って、家で祈ることを勧めるべきかもしれません。その上で、病人の聖体拝領をできるだけ受けられるよう配慮します、と言ったらいいでしょう。でも「ミサに来るな」と言うことはできないはずです。
 あえて言います。高齢者をミサから排除するくらいなら逆に、「高齢者と付き添いの人以外はミサに来ないように」と言うべきではないでしょうか。高齢者に感染させる恐れがあるのは、どちらかと言えば若い人々だからです。

 今こうして非公開でミサをしています。これは本来はありえないことです。イエスはすべての人のためにいのちをささげてくださいました。イエスはすべての人のために聖体のパンとぶどう酒を残してくださいました。ミサを非公開で行なっているのは新型コロナウイルスからいのちを守るための、止むを得ない、緊急の例外的な措置なのです。
 来週からは通常のミサが再開されます。今日のミサの中で、そして再開されるミサの中で、聖体に込められたイエスの思い、すべての人を、特に弱く貧しい人を招き、共にいて力づけてくださるイエスの思いを、わたしたちが深く受け取ることができますように。アーメン。
 

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