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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第14主日



福音の箇所について、言いたいことはたくさんありますが、それについて語り始めるとあまりに説明的になると思い、省きました。
福音の解説は「福音のヒント」をごらんください。

●年間第14主日
 聖書箇所:ゼカリヤ9・9-10/ローマ8・9, 11-13/マタイ11・25-30
         2020.7.5カトリック原町教会
 ホミリア
 「神を信じる」とは、わたしたちの存在を根底で支えてくださる方がいると信頼することです。人間は有限の存在、いつか生まれ、いつかは死んでいくもの。時間的にも空間的にも限りある人生を生きているものです。でもこのわたしのいのちはただの偶然で存在しているのではなく、人間を超えた何かしら大きな力によって生まれ、支えられている。そう信じ、すべてを超える方の大いなる力に信頼すること、それが信仰です。古代から人はその方を天におられる神と言ってきましたし、永遠の神とも言ってきました。
 その神に信頼するから、わたしたちはどんなときも安心していられる。さまざまな困難や危険。病気や経済的な不安。人間関係のあつれき。とんでもなくつらいことがたくさんあっても、それでもわたしたちには、どこかで頼れるものがある。「大舟に乗ったような気持ち」と言いますが、まさにそういう安心感が心の深いところに与えられている。そして、たとえ死ということに直面したとしても、その死を超えて神はわたしたちを決して見捨てない、そう信頼することができるのです。
 さらに言えば、だからわたしたちの人生には、誰一人例外なく、生きる意味がある。なぜこんな苦しい思いをして生きていなければならないのか、死んだほうがましじゃないか、生きる意味なんて何も見えないような状態であっても、神から見れば、一人一人の人生には必ず大切な意味がある。生きる意味があり、そしてその人その人に何らかの使命がある。

 そのことを教えてくださったのがイエスという方です。イエスは神がすべての人の親であり、すべての人を大切にしてくださっていると教えました。イエスは神に向かって「アッバ、お父さん」と呼びかけました。何よりもご自分自身が、親(アッバ)である神に徹底的な信頼を持って生きられました。そして、苦しむ人、病気の人、貧しい人、当時の宗教的エリートたちの見方からすると価値がないと思われているような人々に向かって、あなたがた一人ひとりは誰一人例外なく神の子なのだから、この神(アッバ)に信頼して生きよう、と説きました。そしてわたしたちは皆、同じ唯一の神の子なのだから、お互いを兄弟姉妹として大切にして生きるように招かれているのだ、と語られました。
 今日の福音の言葉はそのイエスの大きな大きな招きの言葉です。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 2000年前にガリラヤ、ユダヤに生きていた人は、このイエスの呼びかけに応え、イエスのもとに近寄り、イエスに触れることをとおして、神への信頼を取り戻していきました。そのイエスが十字架で死んだ後は、復活したイエス、つまり天に上げられ、神とともに永遠のいのちを生きておられる、目に見えないイエスを、イエスの弟子たちの働きをとおして知ることができました。それは神のことば(福音)を告げる教会の活動であり、愛を生きる共同体の姿であり、その中で行われる秘跡という具体的なしるしをとおしてでした。それらすべてを通して、目に見えない神、そして目に見えない復活のイエスに出会うようになること、それがキリスト教信仰です。その信仰によってわたしたちは支えられて生きているのです。

 今回のコロナ感染症拡大防止のためのミサの中止という体験は、もう一度その神、キリストとのつながりのあり方をわたしたちに問いかけたと思います。目に見える秘跡、目に見える共同体は大切。でも本当にわたしたちを支えるものは、目に見えない神、目に見えない復活のキリストなのです。目に見えない神、目に見えないイエスにどう近づくのか?
 カトリック教会の中で大切にされてきた「秘跡」にはやはり大きな力があります。わたしたちが日曜日に集まって、共に賛美と感謝をささげ、一つのパンを分かち合う、この教会の典礼や秘跡は、目に見えない神に近づくために、本当に大きな力を持っています。だからこうしてミサが再開されてことの大きな恵みを感じています。
 ミサに参加できない期間に「オンライン」のミサというのを体験された方も多かったようです。触れることや空気を感じることはできないけれど、インターネットを通じてミサを見ること、話を聞くことはできる。オンラインで見聞きできるということは素晴らしいですが、オンラインでミサに参加できればいいというものでもない。問題は、それが本当に目に見えない神との出会いに役立ったかどうかですね。
 「聖書」はどうか。ある方は、「ミサにも教会にも行けない期間、家で聖書をよく読むようになった」という体験を語ってくれました。これも大切なことだと思います。昔からある方法ですが、聖書やいろいろな本を読むということをとおして、むしろ目に見えない世界に近づくことができるのです。
 「祈りや瞑想」が深まったという方もいらっしゃいます。ここにもただ聖体をいただくことやオンラインミサを見ているのとは違う大切さがあります。本当に人間を超えた、目に見えない世界に近づきたいのですから、そのためには、これも古くからの方法ではありますが、祈りや瞑想もたいへん役にたちます。

 大切なのは、わたしたちが神との、そしてキリストとのつながりを日々感じながら、そのつながりに支えられ、導かれて生きることです。目に見えるものがすべてであり、国家の力や経済の力が人を支配し、人と人とを分断させていくような世界の動きの中にあって、神を信じる者として、神と隣人を大切にして生きる、その喜びを深く味わい、その喜びを多くの人に伝えることができますよう、心から祈りましょう。



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