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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第15主日



アジサイもいいけど、ガクアジサイもいいですね!
原町教会の小さな花壇で咲いています。

●年間第15主日
 聖書箇所:イザヤ55・10-11/ローマ8・18-23/マタイ13・1-23
          2020.7.12カトリック原町教会
 ホミリア
 北海道大学の西浦博教授という方は新型コロナウイルス対策で「数理モデル」というのを用いて有名になりました。「人との接触を8割減らせば、感染拡大を止められる」と言って、「8割おじさん」と言われた人です(自分でもそう言っているらしい)。本当のところ多くの人が人との接触を8割減らしたことによって、感染拡大がある程度で収まったと言えるのかどうか、証明するのは難しいようですが、数字を出されると、何かすごく客観的な根拠があるように感じさせられますので、説得力はあったと思います。「8割」という数字を聞いて多くの人は危機感を感じ、感染症予防のための強い意識を持って行動するようになったという面も否定はできないでしょう。「計算上こうなります」と言われると、なんとなく信じてしまうところがわれわれにはあります。
 数学的な計算ということはとんでもなく進歩しているようです。世界一の性能を認められた日本のスーパーコンピュータ「富岳」は、コロナ対策でも活用されるそうです。
 
 わたしたちの教会はどうでしょうか。数学的な計算をすると正直、今後の教会の姿はかなり厳しいです。司祭・修道者の高齢化、減少は明らかですし、信徒も同じように高齢化し、減ってきています。このままでは日本のカトリック教会には未来がないと言う人もいます。献金を出してくださっている世代も減ってきて、経済的にも将来成り立たなくなるのではないか、とも言われています。人間的な頭で計算をしていると、この先どうなるのか、心配になります。
 「それでも神の言葉は実現する」、今日の聖書朗読はそう語ります。人間的な計算や予測ではなく、神の言葉だから実現するというのです。

 福音は種まきのたとえです。道に蒔かれた種、石だらけのところに落ちた種、茨の中に蒔かれた種。わたしたちの常識からするととても不思議です。日本の種まきなら、畑を耕して、良い土地にしてから種を蒔く。なぜ道に種を蒔いたり、石だらけのところに蒔いたりするのか。しかし、それは当時のパレスチナでは普通のことだったそうです。乾燥したパレスチナの地では種を地中深くに入れないと干からびてしまう。そのため、とにかく種を畑一面に蒔いてしまってから、土を掘り起こすようにして耕していく。そういう種まきの仕方がこのたとえ話の背景にはあるそうです。「効率が悪い、もっときちんと計算したほうがいい?」でも結局はこのようなやり方で豊かな実りがもたらされるのです。
 福音の後半のたとえ話の説明では、みことばの種を蒔かれた人間のほうのあり方が問題になっていますが、本来のたとえ話は、相手がどんな土地であろうが、あきらめずに蒔き続ける農夫のほうに重点があったようです。

 イエスは神の国の福音を語りました。相手が硬い石のようであっても、表面的にだけ受け取るようであっても、とにかく語り続けました。イエスの言葉を実際には受け入れなかった人にも出会いましたし、心から受け入れる人にも出会いました。受け入れたのは多くの場合、無学な人、貧しい人、病人や障害者でした。人間的な計算からすれば、豊かな結果を導き出すことのできないような現実だと言ってもいいと思います。それでもイエスはみことばを語り続けました。最終的に、十字架に追いやられていくことになりましたが、その最後までみことばを語ることをやめませんでした。そうして、人間の計算を超えて、神の救いは実現していったのです。
 
 わたしたちはどうでしょうか?わたしたちは未だに普通のかたちでミサをささげることもできません。人と人との間の距離を取るのがあたりまえ、できるだけ接触しないように、大きな声や歌もダメ、と言われています。でもミサはそもそも密集・密接の世界です。人と人とが集まって、共に祈る共同体の姿をとおして、主の食卓を囲むことによって、目に見えない神とのつながりを感じとっていく。そんなカトリック教会の伝統的なあり方が今では通用しなくなっています。いろいろなことが新型コロナによって変わってきましたし、これからも変わっていくのかもしれません。それでもわたしたちは、神に信頼をおいて生きたいと願っています。それは計算や打算の問題ではないのです。

 目に見ることのできない神、人間を思いや考えを超えた神がわたしたちを生かしている。その神の大きないつくしみの中でこそ、人間は生きることができる。その神はどんなときも決して人間を見捨てることはない。苦しむ人の苦しみを見、叫び声を聞き、痛みに共感して、近づいてきてくださる。「神が王となってくださる=神の国」とはそういうこと。
 どんなに文明が発展し、科学技術や医療が進歩し、経済が繁栄しても、人間の苦しみはなくなりません。それは貧しさや孤立であり、罪の重荷、人間関係の悩み、病や死であり、どこか深いところにある存在の不安やむなしさというような苦悩です。
 目に見えない神とのつながりを大切にする生き方、人と人とのつながりを大切にする生き方。家族を大切にし、出会う身近な人を大切にし、でも、他の人はどうなってもいいんじゃなく、すべての人を神の子として大切にしていく。ふるさとや地球の環境を大切にして生きていく。そんなあたりまえの生き方を取り戻していきたいのです。
 わたしたちは神の国のみことばを語りたい。もちろん、言葉だけでは何も伝わらないでしょう。本気でわたしたちが、神に信頼し、人と自然を大切にするという生き方をとおして、神の国のみことばを伝える者になりたい。イエスは今もみことばの種を蒔き続けている、そう信じ、そのイエスのことばと働きに連なる者となることができますように。アーメン。


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