毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

世田谷南宣教協力体合同堅信式

久々に説教を載せてみます。

●年間第30主日(マルコ10・46-52)2012.10.28上野毛教会にて

 先日、『高校生の生活意識と留学に関する報告書 日本・米国・中国・韓国の比較』という本を読みました。昨年2011年の調査です。その中で、わたしにとって非常に印象に残った調査結果がありました。
 「自分は他の人々に劣らず価値ある人間である」と思うかという質問に対して、アメリカ、中国、韓国の高校生はだいたい80%ぐらいが、そう思っている。ところが日本の高校生は40%しかそう思っていない。逆に「自分はダメな人間だと思うことがある」という数はアメリカが約50%、中国約40%、韓国約30%に対して、日本は83.6%。6人いたらそのうち5人はそう思うことがあるという計算になります。想像どおりでしたが、数字を見て、やはりショックでした。これはたまたま高校生の調査でしたが、中学生も同じような傾向があるようにも思うし、もしかしたら大人にも似たところがあるのかもしれないと思います。
 国民性の違いでしょうか?親や学校の先生とのかかわりの中で子どもが受け取るメッセージの問題でしょうか?社会全体の雰囲気が問題でしょうか?簡単には言えません。
ただ日本の高校生の自己評価のこれほどの低さは、人と人との比較だけの世界に落ち込んでしまっていて、神様との関係を見失っているからではないかとわたしは思いました。あまりにも人間的なレベルで自分や他人を見てしまっているのではないかと思うのです。
 わたしたちは皆、神様に造られ、一人ひとり神様からいのちを与えられ、かけがえのない神の子として大切にされています。神様から見てダメな人間なんていないし、価値のない人間なんていないのです。本当にそう思えれば、わたしたちが生きていることは決して無意味なことではないはずです。
 神様は一人ひとりの人間を、それぞれに価値ある人生を送るようにと、特別に一人一人を呼んでくださっています。その神からの呼びかけを英語では「vocation」と言います。ラテン語の「voco/vocare=呼ぶ」という言葉から来ています。この言葉は「vox=声」という名詞を動詞にしたもの。人間一人一人に神様は声をかけ、特別に呼んでいてくださる。わたしたちの人生にとって大切なことはこの神様の呼び声を聞いてそれに応えること。
 今日の福音はまさにそういう呼びかけを聞いた人の話でした。
 バルティマイという「盲人の物乞い」の人がイエスに出会う話です。この人は目が見えず、2000年前のことですから、ちゃんとした仕事にもつけず、障がい年金のようなものもなく、人からお金やものを恵んでもらって、やっと生き延びていた人だったのでしょう。この人は何の役にも立たない人、社会の中で邪魔者扱いされていた人でした。イエスの周りの人々も彼を叱って、黙らせようとしました。でもイエスは、彼の叫びを聞きます。「あの人を呼んできなさい」と人々に言います。人々は彼にこう言いました。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ(イエス様が呼んでおられる!)」彼は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのもとに来ます。本当に大きな喜びでした。その喜びのうちに彼はイエスに従っていくことになります。
 今日、堅信の秘跡を受ける皆さん。神様は、イエス様は、皆さん一人一人を呼んでいます。何に呼んでいるのでしょうか。「わたしのもとに来なさい。あなたは決してダメな人間じゃない。あなたは神から見て価値ある人間なのだ」そう呼んでいるのです。だから、力強く、神の子として生きていきなさい。と同時にまわりの人を、ダメな人間と見るのではなく、出会う一人一人を価値ある人間として見てかかわっていきなさい、大切にしていきなさい。そういう道に呼んでくださっています。
 神の子どもとして、イエス・キリストの兄弟姉妹として、自覚を持って歩む。これが堅信の秘跡を受けたキリスト信者の生き方です。その生き方を支えるために、聖霊という神の力、神の助けが与えられます。聖霊はわたしたちの内面に直接働きかける神様の働きかけそのものです。
 どうか本当にこれからの人生の歩みの中で、この根本にある神様との関係を見失わないでください。イエス様がわたしたちを呼んでくださっていることを忘れないでください。
 そのために3つのことを大切にしてくださいとお願いします。それは「聖書と祈りと信仰の仲間」です。
  (略)
 「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」イエスの周りの人々がバルティマイに伝えた言葉を、今日堅信の秘跡を受ける皆さんに送りたいと思います。

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