毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

イエスのカリタス修道女会 終生誓願式の説教

caritas sisters

 終生誓願宣立おめでとうございます。
 右がシスター・マリア・インマクラータ谷口暢子、左がシスター・ジャンヌ岩崎由美子です。

●無原罪の聖マリア(ルカ1・26-38) イエスのカリタス会終生誓願式
                                  2012.12.08管区本部聖堂にて
 昔、わたしが神学生のころ、名古屋教区の相馬信夫司教が神学生たちに講話をするために神学院を訪問されました。わたしは係でしたので、司教様と打ち合わせをするために客室の相馬司教様のところに行きました。
 「何の話にしようか。『正義と平和』の話がいいかな?でもそれはしょっちゅうしているから今日はマリア様の話にしようか。それでいい?」
 わたしが驚いたのは、神学院に来るまで、話を決めていなかったということでした。つまり、何の準備もしてこないわけで、司教というものは、準備なんかしなくても神学生に対する講話ぐらいできるのだと、みょうに感心したのです(今、わたしは時間がなくてほとんど講話の準備ができないことがありますが、いつも冷や汗ものです)。
 ところで、わたしはその講話の内容をよく覚えています。神学生時代に聞いた講話はほとんど忘れてしまいましたが、この時の講話は心に残った数少ない講話の1つです。相馬司教はこう言いました。
 「Ave Maria, gratia plena. Dominus tecum.」今で言えば、「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方。主はあなたと共におられます」ですね。相馬司教はこの言葉について、こう言ったのです。「Ave Maria, gratia plena. Dominus tecum. 本当にいい言葉ですね。これはもちろんマリア様に言われた言葉だけれど、わたしたち一人一人に向かっても神様はそう言っている。そう思ったら、本当にうれしくなるような、すごい言葉ですよね。」
 「おめでとう、喜びなさい」「あなたは神の恵みに満たされている」「主はあなたとともにいてくださる」本当にわたしたち一人一人に神様はそう語りかけてくださっているんだ。確かに、そう思えたらすばらしいと思いました。この相馬司教のお話は、今思えば、第二バチカン公会議のマリアについての教えから来ているのでした。

 今、カトリック教会では「信仰年」という時を過ごしています。第二バチカン公会議開始50年記念して、もう一度信仰を見つめ直そうという年です。50年前もある意味で信仰の危機でしたが、今はもっとそうかもしれない。その中で、もう一度信じて生きるとはどういうことか、見つめ直そうとしています。
 公会議の刷新は典礼から始まりました。時代と共に付け加えられて複雑になりすぎた要素が省かれてシンプルになった面もあり、また本当に大切なことを明確にするために豊かになった面もあります。今日のミサは「無原罪の聖マリアの祭日のミサ」ですが、今日の叙唱は第二バチカン公会議後に、新たに作られたものです。そこにこういう言葉があります。
  「(神よ、)あなたはおとめマリアを原罪のすべての汚れから守り、
  神の母となるよう恵みで満たし、
  マリアのうちにしみも汚れもない教会の姿を現してくださいました。」
 マリアはほかの人と違い、例外的に罪をまぬがれていた、というのではなく、キリストによって救われ、罪から解放された教会、「しみも汚れもない教会」という教会の原型そのものだと見られています。イエスの母であるマリアという一人の女性の中に教会の理想的な、模範的な、典型的な姿をみる。これが第二バチカン公会議のマリアについての教えの特徴です。だから公会議はマリアについての特別な教令を出すのではなく、『教会憲章』の最後の章でマリアについて語りました。そこで主に語られているのは、教会の最終的な完成の姿を前もって表す「被昇天のマリア」の姿です。そして、きょうのミサの叙唱で語られるのは、教会の本来の姿として語られる「汚れなきマリア」の姿なのです。
 「おめでとう、恵みに満ちた者、主はあなたとともにおられる」
 この言葉を、今日誓願を立てるお二人に送りたいと思います。マリア様に言われた言葉は今日、あなたがたに言われているし、一生この言葉を言われ続けていることを忘れずに、この言葉に支えられて歩んでいってください。

 天使のお告げに対するマリアの答えは「Fiat=お言葉どおり、わたしになりますように」でした。マリアはわたしと関係ない、この世界のどこかで神の言葉が実現しますように、と願ったのではなく、このわたし自身に実現しますように、と言って、自分のすべてをこの神の言葉にゆだねていきます。このFiatこそが、「貞潔、清貧、従順」という福音的勧告consilia evangelicaの根本精神だと思います。
 貞潔とは、キリストだけに心を向けること。
 清貧とは、キリスト以外の何も必要としないこと。
 そして従順とは、キリストの愛の実現だけを願うことです。

 無原罪の聖マリアは金ぴかに飾り立てられた女王のような孤独な存在ではありません。本当に豊かなつながりを生きられた方です。
 何よりもイエスとの豊かなつながり。自分のうちにイエスを宿し、育み、人々のためにイエスを世に差し出す。その深いキリストとのつながりを奉献生活者として本気で生きていってください。
マリアはすべての人とも深くつながっています。マニフィカトの中に示されているのは身分が低い人、無力な人、飢えに苦しむすべての人とつながっているマリアの姿です。キリストとの深いつながり、貧しい人との深いつながり、この2つのつながりをシスターたちが徹底して生きることができますように、このミサの中で祈りたいと思います。

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