毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

キリストの聖体の祭日

 昨日はキリストの聖体の祭日でしたが、ある修道院でのミサでしたので、原稿なしでした。
 3年前の聖体の祭日(同じC年)のミサの説教原稿が保存してありました。それはある教会での、子ども(小学1,2年生)の初聖体のミサでしたしたが、そのときの説教の原稿を掲載します。新鮮じゃなくてごめんなさい。

キリストの聖体 (ルカ9・11b-17)

 初聖体を受ける皆さん、おめでとうございます。教会は赤ちゃんの時に洗礼を受けた人でも、物心がついて、勉強して、理解してから聖体を受けるようにしてきました。
 ミサで使うパンは、こういうものです。これは普通のパンと少し違います。わたしたちが普通に食べるパンは、イースト菌というのを入れて、膨らませて、オーブンでふんわり焼き上げたものですね。わたしは何度も自分でパンを焼いたことがあります。発酵して膨れるのがいつも不思議で面白いです。皆さんもいつかやってみてください。でもミサのパンは違います。このパンは「パン種・イースト菌」を入れていません。だから膨らんでいないんです。イエス様の時代、過越祭というお祭の時期にはパン種の入っていない「パン種なしパン」を食べることになっていて、イエス様が最後の晩餐でミサを定めた時がその過越祭でしたから、今でもミサのときは種なしパンを使います。それからもう一つわたしたちが普通に食べるパンと違うところがあります。それは形です。平らで丸い形をしています。イエス様の時代には、オーブンなんてなかったので、地面に火をおこして、その上で、こういう円盤型のパンを火に乗せて焼いたのです。形はピザみたいですね。

 ミサのときに使うパンには、大きいパンと小さいパンがあります。なぜでしょうか? 普通、小さいパンがたくさんあって、一つだけ大きいパンを使います。小さいパンだけではミサはできません。どうしても一枚だけは大きいパンが必要なんです。これはなんでしょうか? 神父さんが食べる分でしょうか? そうじゃありません。それはミサの中で「裂く」「パンを分ける」という動作をするためです。
 きょうの福音でもそうでしたね。5つのパンを5,000人に分けたという不思議なお話でしたけど、そこでもイエス様は大きなパン、今ミサで使うよりももっと大きなパンを裂きました。なぜ裂くのでしょうか? もちろんそれはみんなと分けるためです。自分だけで食べない、っていうしるしなんです。

 「みんなそれぞれ、自分で自分のパンを手に入れればいいでしょう」。これが弟子たちの考えでした。イエスさまの考えは違います。どんなに少しのパンであっても、これをみんなで分ければいい、という考えでした。それは、このパンが神様からいただいたものだからです。「パンを取り、感謝の祈りをささげ(賛美の祈りをささげ)」って言います。ミサの中でもそうです。このパンは神様がくださったもの、神様、ありがとうございます。本当にそう受け取ったら、一人では食べられない。少しでも多くの人と一緒に食べたい。そう思うんのが当然ですよね。
 これがイエスさまの心でした。神様はわたしたちに素晴らしいものをたくさんくださっている。それを独り占めしようとするから、食べられない人が出てくる。そうじゃなくて、みんなで分けよう。

 難しいです。大人たちはうまくできていません。21世紀の今になっても、世界には飢えている人がたくさんいます。必要な食べ物を食べられない子どもたちがたくさんいます。どうやったら分けられるのか、一緒に食べられるのか、大人たちはよく分からないでいます。なかなか実行できなくなっています。それは、本当に神様からいただいたものだっていうことを忘れてしまっているからじゃないでしょうか。

 きょう、皆さんは、初聖体を受けます。パンのかたちでイエス様をいただきます。本当に大切なのはイエス様の心をいただくことです。まわりにいる人たちみんなのことを考えて、神様からいただいくものを皆で一緒に分け合っていこう。そういうイエス様の心をいただくことが大切なんです!
 「これはわたしの体である」と弟子たちと一緒に最後の食事をしたときにイエスさまは言いました。「わたしの記念として・わたしを思い出すためにこれを行いなさい」っておっしゃいました。教会は2000年間もずっと毎週、ミサを祝い、聖体を分け合ってきました。イエス様の思いを少しでも受け取るためです。

 皆さん、今日、初聖体を受ける子どもたちだけでなく、わたしたちみんながイエス様の心をいただいて、神様からいただくものをみんなと分け合っていくことができますように、心から願いながら、このミサをささげましょう。

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