毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

サレジオ会助祭叙階式



● サレジオ会助祭叙階式
 2013.3.9(土)午後1:30〜 調布サレジオ神学院
 受階者:フランシスコ・サレジオ岡本大二郎

 フランシスコ・サレジオ岡本大二郎さん、あなたは今日、助祭叙階の按手を受けようとしています。まったく偶然ですが、今は使徒座空位という特別の時にあたっています。それで、この助祭叙階式にあたって、古代のローマ教皇(ローマ司教)の下で働いたラウレンチオという助祭のことをお話ししたいと思います。この人は殉教者として古代の教会の中で大きな尊敬を受けていました。
 ラウレンチオは、3世紀、シスト2世というローマ司教(教皇)に仕えた7人の助祭のうちの一人でした。当時の助祭の大切な仕事は教会財産の管理でした。それは貧しい人を助けるという助祭のつとめに直結していたからです。ラウレンチオは特にこの財産管理という面で働いていたようです。当時のローマ帝国はまだキリスト教禁教時代で、大きな迫害が起こり、シスト2世と他の助祭たちは殉教します。そのとき、ラウレンチオには何日かの猶予が与えられました。それは教会財産をローマの役所に差し出す、という命令を果たすための猶予期間でした。ラウレンチオは戻って教会の財産を処分しました。しかしそれをすべて貧しい人たちに分け与えてしまいました。役所に出頭するラウレンチオの後ろには、おおぜいの貧しい人々が彼を慕ってついてきました。そして役人が「教会の財産はどこにある」と尋ねたとき、そこにいた貧しい人々を指して、「この人々が教会の宝です」と答えました。役人は怒って、すぐさま、ラウレンチオを火刑に処したそうです。
 このラウレンチオの話から3つのことを今日、学びたいと思います。
 一つは助祭が「愛と奉仕の人」だということです。ラウレンチオの貧しい人々への愛は、古代のキリスト者を感動させました.それで彼は古代の教会でもっとも人気のある聖人の一人になりました。このラウレンチオの愛は、ただ単に貧しい人良いことをたくさんしてあげるという愛ではないと思います。「この人たちが教会の宝です」という見方、それが大切です。キリストの眼差しで貧しい人や病気の人、いろいろな悩みを抱えた人を見る。嫌々奉仕するのではなく、ほんとうに出会うすべての人を神が愛し、キリストがその人のためにいのちをささげた宝物のように見て、愛し、奉仕する。その眼差しを大切にしてください。いろいろな人に出会うでしょう。人間的な見方ではなく、神さまはこの人をどう見ているか、キリストならこの人たちをどう見るだろうか、そこに立って、ひとりひとりの人間を大切にしていってください。
 ラウレンチオから学びたい第二の点は、助祭が「教会の人」だということです。愛のある人はたくさんいます。先日、北海道が大寒波に見舞われたとき、9歳の一人娘をかばって死んで行った父親がいました。すごい愛ですね。わたしたちの愛はそんな親の愛の足下にも及ばないかもしれません。助祭じゃなくても、いや助祭以上に愛する人はいくらでもいるでしょう。でも助祭の愛が大切なのは、それが教会の名において行なう愛だからです。岡本大二郎という人がいかに愛の深い人物であるか、そんなことはある意味でどうでもいい。教会が愛と奉仕を生きるという使命をキリストからいただいていて、そのことを目に見えるしるしで表すのが助祭職なのです。ラウレンチオはキリスト教が愛を生きる宗教であること、教会のいのちの中心が愛であることを表しました。岡本さん、あなたはこれから「聖職者」と呼ばれることになります。それはあなたの言葉も行動もすべてが教会の言葉、教会の行ないになるということです。そのことを肝に銘じてください。
 ラウレンチオに学びたい最後の点は、助祭が「チームの人」だということです。ラウレンチオは自分だけで英雄的な行為をしたのではありません。確かに彼の最期は目立っていて、特別の尊敬を受けるようになりますが、決してスタンドプレイをしたのではない。彼はローマの司教シスト2世と深く結ばれ、他の助祭たちとも深く結ばれて、その使命を果たしました。今で言えば、「チーム・ミニストリー」です。助祭も司祭も一人で何かをするのではなく、チームで働くのだということを決して忘れないでください。助祭になり、司祭になると、確かにいろいろな仕事を任されるでしょう。与えられた仕事を一生懸命やっているうちに、自分が一人でやっているように感じるかもしれません。他の司祭や助祭と結ばれて、信徒やシスターと結ばれて、あなたの働きがあるのだということを忘れないでください。

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