毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

震災2年のミサ

311東日本大震災2年のミサ
東京四谷のイグナチオ教会で追悼と復興祈願のミサをささげました。
「忘れない」という思いで、多くの司祭・信徒の皆さんが集まってくださったこと、感謝です。

ミサのはじめに
 東日本大震災発生から今日で丸2年がたちました。地震の揺れと、大津波と原発事故が重なり、本当に多くの方が亡くなり、また今も悲しみ・苦しみ・不安を抱えて生活している方々がおおぜいいます。
 地震が発生する前から岩手、宮城、福島の太平洋岸には小さなカトリック教会がいくつかありました。地震と津波はカトリック教会の信者をも襲いました。しかし、教会の信者たちは自分たちも被災者でありながら、ほとんどすぐに周りの人々を助ける小さな活動を始めていました。また3月16日には仙台教区サポートセンターが立ち上がりました。その主な役割は、全国から集まってくるボランィアを受け入れ、ボランティアベースとなった各教会に派遣することでした。カリタスジャパンはこの活動に全面的な協力をしました。全国・全世界から集まった募金を使ってこの活動は行われています。さらに全国のカトリック教会が被災地にベースを作って復興支援活動を行なうようになっています。
 きょうのミサは東京近郊から被災地にボランティアを派遣してきたグループや東京に避難してきた人に対する支援をしてきたグループが呼びかけ合って行なうことになりました。東京にいても、亡くなった方々のことを忘れない、被災した方々のことを忘れない。避難している方々のことを忘れない。そういう思いでわたしたちは集まっています。
 わたしたちは神を信じる者として何よりも祈りたいと思います。犠牲者、行方不明者、そのご家族、また避難者の方々のために心を合わせて祈りたい。
 いつくしみ深い神が亡くなられた方々をご自分の永遠のいのちにあずからせてくださいますように。また神が被災したすべての人とともにいて、その人々を支えてくださいますように。そして、神が東京近郊に住むわたしたちにできること教え、わたしたちにそれを実行する力を与えてくださいますように。
 心を合わせてご一緒に祈りましょう。

第一朗読 イザヤ書49章11~16a節
福音朗読 マタイによる福音書5章1~10節

ホミリア
 マタイ福音書5章の山上の説教の冒頭部分。
 マタイによれば、そこに集まっていた人々は、「いろいろな病気や苦しみに悩む」人々でした。弱り果てた人々がイエスのまわりに集まっていました。その人々に向かって、イエスは8回「幸い」と呼びかけたのです。
 「8つの幸い」と言われますが、前半4つと後半4つに分けて考えてみるとよいでしょう.前半は「心の貧しい人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人は幸い」と言われていますが、ルカ福音書ではもっとストレートに「貧しい人」「泣く人」「飢えている人」と言われています(こちらの方がオリジナルでしょう)。常識的には幸いではあり得ない人々です。そしてそれはまさにイエスの目の前に集まっていた大勢の人々の現実でした。その人々にイエスは「あなたがたは幸い」と語りかけます。なぜでしょうか。それは神の国はあなたがたのものだから、神があなたがたを決して見捨てず、あなたがたとともにいてくださり、支えてくださるから、だから幸いだと言うのです。わたしたちは今日、あの大震災と大津波で亡くなった方々、原発事故を含め震災に関連していのちを落とした方々のことを思っています。神はその方々を決して見捨てることはない。そう信じます。ご自分の国に招いてくださると信頼しています。
 ルカの伝える3つの幸いの言葉のように、オリジナルの「幸い」はほんとうにどうしようもなく傷つき、打ちひしがれた人々へのよい知らせでした。しかし、マタイはこの「幸い」の言葉を拡大しています。そこには確かに弱く貧しいけれど、その現実の中で前向きに生きようとする人の姿が表れています。「心の貧しい人(霊において貧しい人)」「義に飢え渇く人」というのもそうでしょうし、「柔和な人、憐れみ深い人、心の清い人、平和を実現する人、義のために迫害される人」もそうです。確かに厳しい現実の中で、でも信頼と希望と愛をもって生きようとする人の姿があります。そしてその人々に向かって、イエスは祝福を送っています。「その人たちは神を見る」「その人たちは神の子と呼ばれる」それはなんという祝福でしょうか。
 わたしたちはそれぞれの仕方で、この2年間、被災された方々と少しでも一緒に歩もうとしてきました。たびたび被災地に足を運んだり、避難している方々を訪問したり、物資を送ったり、祈りや献金をささげたりしてきました。そしてその中でかえって被災された方々、避難者の方々から勇気と希望の力をいただいたことも多くありました。被災されて懸命に生きている方々、その方々とともに歩もうとするわたしたちとともに神はいてくださり、励ましを与え続け、善い方向に導いてくださると信じます。どうかわたしたちがこれからも信頼と希望と愛をうちに共に歩んで行けますように、祈りましょう。
 震災2年にあたって、「忘れない」という言葉をさかんに耳にします。先日、郡山市の中学生たちが書いたたくさんのカードを読ませてもらいました。「何を忘れてほしくないか」という問いかけに対してそれぞれの思いを書いたカードです。その中に「福島県が日本の一部であることを忘れないでほしい」という言葉がありました。自分たちが日本の他の地域から切り離され、忘れられ、見捨てられていっているのではないか。中学一年生の子どもがそう感じているのにショックを受けます。だからこそ、わたしたちは決して忘れない、と約束したいのです。そしてわたしたちは、たとえ人間が忘れても、神は決して忘れないということを思い起こしたいのです。そのためにイザヤ書を読みました。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」
 この神の思いを受け取りながら、この神の思いを伝えるために、わたしたちがこれからも困難な状況にある被災者、避難者の皆さんに寄り添い続けることができますように、神の導きと支えを祈りましょう。
 

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| | 2013-03-23(Sat)22:16 [編集]